「マルクス主義」と「ポストモダン」
★★★★☆
この本は日本の現代思想を海外の現代思想と比較するなどして分析した本です。内容は、
【一】海外ではそれなりにリアリティーがあったマルクス主義が、日本では(日本の言論界を牛耳っていた)左翼知識人が現実に向き合わなかったために浮世離れした非現実的な思想に成り下がった。
【二】日本の言論界がそんな状況だったために、海外ではマルクス主義に対抗する(抵抗する)思想だった現代思想がただの流行として輸入されてしまった。
【三】そのために流行が終わると現代思想が持っていた問題意識が理解されず、日本の言論界がマルクス主義的な二項対立の世界に戻ってしまった。
というような内容です。ただ、仲正氏の言う問題意識(二項対立批判)は現実的には無理があると思います。仲正氏が批判するウヨク、サヨク(二項対立的な思考をする人)が、仲正氏が批判した程度で二項対立的な大きな物語から目が覚めることはないのではないでしょうか。(というより、仲正氏が「話せばわかる」という啓蒙主義的大きな物語を信仰しているような気がします)
セカイ系の思想戦
★★★☆☆
すごーくまとめて言うと、戦後の日本では一時的に「思想」が社会的な影響を持つことがあったが、21世紀に入ってからは、思想対立の緊張感がなくなって、「思想戦」はできの悪いゲームみたいになってしまった、というストーリー。
<「弱肉強食の市場原理を貫徹して経済格差を拡大し、行き場のなくなった負け組を海外派兵の要員にすることを画策しつつ、そのための伏線として、愛国心・反ジェンダーフリー教育や監視社会を促進する右派勢力」という---かなり総花的に---膨張した”共通の敵”のイメージがしばしば、「左」寄りのメディアにも登場するようになった。これまでにない”最強の敵”に対して、これまでバラバラにゲリラ戦を戦ってきた「左の戦士」たちが再結集するという、黙示録かセカイ系のような話になりつつある。> (p. 237)
一部の論客は、現代の思想戦は、そういうゲームみたいなものだと分かりながら演じている気がすると思うし、今に至っては、それがあるべき態度だと思う。いくら高橋哲哉が書いても、藤岡信勝が叫んでも、日本の将来はあんまし変わんないよね。
しかし、本書を読むと、「思想」が日本で何よりも熱く語られていた時代があることが分かる。それを体験できないのはほんの少し残念な気もする。
現代思想の変遷を平易に解説した良書
★★★★☆
マルクス主義の時代から実存主義、構造主義、ポスト構造主義へ到る思想の変遷を平易
に解説している。あくまで現代思想の大きな流れを掴む内容なので、特定の思想家の思考
の詳細はない。そのあたりは別の本をさがす必要がある。
丸山真男や吉本隆明など構造主義以前の思想家についても紙面を割いており、お得感あり。
本書は、現代思想にはさほど興味はないが、一応知識として簡単に知っておこうと考える
人には非常に良い本だと思う。
低迷する思想はやがて思いがけない地平へ
★★★★★
マルクス主義に端を発する近代思想からポストモダンへの思想の変遷をコンパクトにまとめていて、現代思想って結局何だったんだべ、という僕のような今さらながらの入門者に打ってつけ。本書を通じて思想史を概観すると、ポストモダンはまるで保守と左派という連星の周りをグルグルと振り回されながら周回する人工衛星のようだ。思想は今、危機的低迷を迎えているというけれど、人は生きている限り必ず何か考えているもの。ましてやこの難しい時代だ。狭いニッチでミクロな分析に甘んじる現代思想の残り火が、やがて思いがけない方向へとスイング・バイで飛び出していかないとも限らない。がっぷりと組み合うに値する面白い地平が待っていそうな気がする。思想は死んだと物わかりのいい顔で切って捨てるのは、今少し早計かも知れない。
おお〜、よくわかるぞ
★★★★★
筆者と同世代です。学生時代はニューアカブーム真っ最中で、「みるぷらとー」の翻訳が早く出ないかと心待ちにしていたことなど思い出しました。なつかしい。
あれから20年くらいたって。
仕事が忙しくて、哲学系書物とは遠ざかっていたのですが、ひょんなことからこの本を読むことになりました。う〜ん、こんなことになっていたのか。仕事も暇になってきたので、これから少しずつ世の中に追いついていこうと思います。
日本だけでなくフランス現代思想についてもコンパクトにまとまった良い入門書です。
***実は金沢の近隣に住んでいるので、万が一このレヴューを読んでおられたら、オープンキャンパス開いてください。お願いします*****