別の角度からの視点も加えて欲しかった。
★★★☆☆
まず、新書でありながら、膨大な資料を調べつくした成果を評価したい。本当に新書で発売しても良いのかなと読み手として心配してしまった。
山県有朋といえば、第一回帝国議会において軍事費拡大の予算成立のため、土佐派の民党を買収した人物という印象がある。この騒動で民党の中江兆民は犬や猿には付き合ってはおられないとして議員を辞職している。さらに、吏党の杉浦重剛もバカバカしくなって議員を辞職しているが、このことがあって、後に宮中某重大事件で山県と対立したのかもしれない。
また、憲政の神様と称される犬養毅は山県詣でをしなかった人物だが、「俺のところに挨拶に来ないのは犬養と頭山(満)だけだ」と山県は豪語している。権力亡者の言葉の何ものでもない。椿山荘を建てた後には奇兵隊時代の先輩に土足で乗り込まれ、高杉、久坂の先輩諸氏を呼び捨てにすることを批判されている。罵倒の末に山県の妻女は蹴りまで食らっている。
2.26事件のとき、反乱軍将校たちの要求の一つに陸軍における長州閥の排除があった。あの事件以後、日本が陸軍主導の政治となったことを考えれば、長州閥という山県の独善によって築かれた罪は大きい。山県の墓所は護国寺に求められたが、大隈重信の墓も同じところにある。あの世にまで政敵を追いかける山県には恐れ入る。
莫大な時間、資料と格闘された結果とは分かっているが、付け加えて欲しかったのは、在野勢力との軋轢や付き合いである。特に、作家夢野久作の父である杉山茂丸との関係を加えると、山県の政治姿勢、判断、決断の裏面が窺えて面白かったと思う。
オーソドックスに書けば星5つ
★★★★☆
今までにない豊富な資料を駆使した評伝。資料的価値は極めて高いだろう。
ただ、著者は「斬新な山県像」を提示しようとするあまり、ちょっと勇み足を踏んでしまったのではないだろうか。
山県にまつわるエピソードには、山城屋和助事件のようにおよそ褒められないものも少なくないが、どうも「愚直だが根はいい人」といった人物像を引き出そうとするあまり、そうした負の面の記述が意図的に(資料の豊富さにもかかわらず)軽くなっているような印象を受ける。つまり贔屓の引き倒し、といった印象を受けてしまうのだ。
既刊書とのバランスを取るためなのかもしれないが、それはせっかくの本書の価値をかえって下げることにならないか。力まずオーソドックスな評伝として書いていれば、充分に星5つ付けたくなる内容なのだが。また、著者は小学館日本の歴史の「政党政治と天皇」では、そうした語り口で成功しており、できないことではないはずだ。それともこれは新書編集者の趣味なのか。
もっとも著者は、山県の生涯を調べて行く中でその愚直さにのめり込んだとあとがきで述べている。うがった見方をすれば、そういう著者ならではの愚直な勇み足、ということなのかもしれない。
政治的人間の性格と運命を知る
★★★★★
明治維新の元勲・功臣の一人として、山縣有朋は、全陸軍と警察機構に君臨した歴史的事実がある。そして、多くの人々に愛される事なく、むしろ、憎まれかつ恐れられた元勲の一人であった。山縣が、こうした役割を好んで居たかどうかは知らないが、思うに、彼の性格を理解するには、長州藩の下級武士としての、幼少期に遡る事が不可欠であろう。赤貧は、彼の志と性格を決定したのかも知れない、その中で山縣は「槍術」で立とうとした。不幸なる少年時代を経て、立身の道をひたすら求め突き進んだと言えよう。
歴史的に見た山縣の功罪は、大いに議論の余地がある。この男は、ただ、世界観と知識、また、政治的手腕に於いて、且つ、その性格において伊藤博文とは格段の差がある。彼の人生に舐めた辛酸が、この様な一見非情な性格を、演じて見せたのだろうか。しかし、大逆事件を仕組んだ、元締めの黒幕として、そして、後の、特高・憲兵機構に積極的な暴虐の口実を与え、それを正当化し、昭和の狂気的な軍事行動を進めた、「ドクトリン」を創り上げた原動力の一つとして、大いに負の動力の立役者であった。それは、後年の小林多喜二や大杉栄の虐殺事件の系譜にまで続いていると見るのが、多くの人の見解であろう。そこには、山縣という「プチ・フーシェ」として、最大の嫌悪の対象となる生涯を垣間見る事が出来る。
山縣は、和歌の会を自分の別荘である椿山荘で開く事もあったという、森鴎外もそこに参加し和歌を寸評し合ったらしい。和歌が好きだとは!自由と文化を抑圧したこの男の意識の中で、どう折り合いが付いているのだろうか?この様に、山縣有朋は、明治維新から昭和の二十年まで続いた、大日本帝国の七十数年に深い影響力を発揮し、隠然たる恐怖と、深い嫌悪を一心に引き寄せた、一種の特異なパーソナリティであった。最近、山縣有朋に関する本は何冊か出ているが、この本も極めてリアルに、且つ、単刀直入に書かれた傑作です。昭和の、陸軍参謀本部という超法規的集団の、狂気的陸軍の産婆であり、日本国の自由主義者や社会主義者を徹底して弾圧し、治安維持法をたてに、憲兵隊と特高による監視と逮捕・拷問を通じて、敗戦前の恐怖政治を推し進めた罪は、歴史の厳然たる事実として永く語り継がれる事であろう。
人間的な山縣有朋像
★★★★☆
本としての評価は☆3つなのだが、
応援の意味で一つ増やしておく(笑)
山縣有朋について知るには、
やはり基本資料は「公爵山縣有朋伝」全3巻だろうが、
何分大著過ぎる。
本書はややひいきの引き倒しというか、少々独善の嫌いはあるが、
現時点で一番詳しく読みやすく、何よりも手に入りやすい、
「山縣有朋」の入門書であろうと思う。
とても人間的に描かれており、
二人の「貞子」(堀貞子と吉田貞子)の話など、中々にほほえましい。
ただ、やはり思い入れが強すぎて「解釈改憲」的な所が鼻につく。
本としての水準は、
やはり名著「山縣有朋−明治日本の象徴−」(岡義武)の方が上だろう。
関心のある人はあわせて読んでみてはどうかと思う。
新書の割に分厚く、読み応えがある。山縣の一生を簡単に追うのに最適な本。
★★★☆☆
新書とはいえ、山県の心情を断定しすぎているところに引っ掛かる。
また、明治日本にシビリアンコントロールが存在していたという主張がなされているが、果たして、そこまで言っていいものなのか疑問が残る。
制度的な裏付けのない、文官による軍の統制をもって、シビリアンコントロールがあったとするのは難しいのではないだろうか。
山県が公式令を軍令で無効化したり、軍部大臣現役武官制を作りだしたことが、軍部の台頭につながったのは事実なのだし、山縣の作った陸軍が昭和の陸軍に直接的には繋がらないという筆者の主張は無理があると思う。
筆者は「山県は陸軍は、(中略)現地軍が独走して行った謀略を、参謀本部を中心とした中央が追認するような集団ではなかった。」(本書p461)と述べているが、日清戦争時、大本営の冬営指示を軽視して、第一軍司令官として海城作戦を下令したのは山縣だったはずだ。山縣のこの行為こそ、日本帝国陸軍における現場の暴走、上層部の追認の嚆矢ともいうべきものではないだろうか。
全体的にみて、山縣を魅力的な人物として描こうという思いが強すぎるきらいがある。その点を差し引いて3点とさせていただいた。