高校生の副読本に
★★★☆☆
本書は、山県有朋に視点をおいて、明治・大正期の政治を概観している。記述は平明であり、とくに高校生にお勧めしたい。明治期の政治史は、藩閥、政党、官僚、軍部などがそれぞれの思惑から複雑な動きを見せ、理解にやや困難があるが、本書を読めばそれらについて、明確なイメージを持つことができるだろう。
ただ、本書を読み進めるにあたって注意すべきことがある。筆者は本書のいたるところで山県有朋の心境を忖度するのだが、それが根拠――例えば日記や書簡――に基づくものなのか、筆者による解釈なのかが不明な点である。ある場合は、筆者は史料を引用し、ある場合はしない。史料を引用しない場合、史料がないので引用しない(=出来ない)のか、史料があるが引用しないのか、読者として判然としないのは不満である。とはいえ、さらなる読書へむけた道案内としては十分、その任を果たしている。
山縣の軍事権力私物化が明治国家を破滅に追い込んだ
★★★★★
山縣有朋という人間が、どういう国家構想を抱いていたかとなると、大元帥としての天皇を頂点としたピラミッド型軍事国家体制そのものであり、すべての日本国民を軍隊的階級秩序のなかに包摂しようと考えていたということになろうか。すでに産業化社会を向かえつつあった明治、大正の時代では、アナクロニズムも好いところだが、彼の構想力たるや、ごく素朴に、その程度でしかなかったといえよう。
しかも山縣の薄汚さは、つねにダブルスタンダードで、自分自身だけは例外扱いとしていたこと。
軍人の政治関与を禁ずるとしながら、山縣自身は軍服を着たまま閣僚を務め、首相を務め、あらゆる官僚組織のなかに山縣閥を形成した。政党嫌いと言いつつ、じつは彼が行ったことは政党政派活動そのものにほかならず、天皇をトップにと言っても、その天皇は、生身の明治、大正天皇ではなく、山縣が頭の中で構想した神殿の奥にまします御神体を演ずる天皇だった。むろん、山縣覇権時代というべき日露戦争後〜シベリア出兵期といえども、薩派海軍や政友会という強力な反対党が存在したため、山縣一派による独裁政権樹立にまでは至らなかったが、とくに伊藤博文没後は「桂園時代」というより、じつは「山縣大御所時代」というべく、「統帥権の独立」とは要は軍閥の覇権を明治憲法に書き込んだにすぎなかったといえる。
その山縣一派の覇権が、アンチ長州閥に結集した幼年学校・士官学校・陸軍大学卒業組軍官僚グループに突き崩されると、残ったのは、軍閥による国家権力の私物化という山縣とその一派の悪しき前例だけだった。満州事変という軍事クーデターによって山縣閥を見習った軍事官僚グループの政治的覇権が確立してしまうと、あとはもう、あの敗戦にいたる道しか明治国家には残されていなかったということになる。