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冠婚葬祭のひみつ (岩波新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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歴史の中の冠婚葬祭を考える ★★★★★
冠婚葬祭のひみつ 斎藤美奈子 岩波新書 2006

冠婚葬祭の婚と葬の意味は知ってましたが、冠と祭の意味は知りませんでした。
斎藤さんの本はどれも面白い、いや勉強になるという方が正しいかな。
いったいどれだけの本を読んでいるのか?斎藤さんの超整理術を期待したいほどの情報量なのです。
日本の歴史の中での冠婚葬祭を当時のマニュアル本から最近のモノとを比較していて、いかに「しきたり」とか「マナー」といったものがウツロイな事が分かります。逆にその「しきたり」を簡単に振り切れない現実があったりします。
そして一番おもしろかったのはやはり葬祭の歴史、墓の持つ意味は国家側の住民支配に仏教を利用して?住民登録な様なシステムを作りあげたのだろう。そして差別の問題もそれに絡んでくる。これは哲学者の内山節さんも同じような事を言われていたと記憶している。その他、戒名や埋葬の方法(火葬や散骨等)など面白い内容のテンコ盛りです。
読み終わった時に思ったのは、果たして自分が作った墓とか、子供にそれを引き継ぐというのが実はあまり意味の無いことではないかということだ。
文末に十分量以上の参考文献が挙げられているのでご興味のある方は是非。
備忘録的に
葬式や婚礼が宗教と係わるのは江戸からである。
戦前のマニュアルはセックス、迷信、優生思想に彩られている。
冠婚葬祭の担い手の3つの時代変遷
家(血縁)+地域共同体(地縁)(1900年代以降)
家(血縁)+企業共同体(社縁)(1960年代以降)
個人+家族(狭い範囲の血縁)(1990年代以降)
親に読んでほしい ★★★★★
娘の結婚の時は『式は挙げてくれ』の一点張り。
反面『俺が死んだら葬式はいいから骨は海にでも撒いてくれ』。
厚かましくも、そんなことを平然とのたまう
“団塊の人”にこそ、この本を読んで欲しいと思いました。


派手な挙式や「両親の手紙」に抱いていた違和感の正体も、
葬式代が実際はいくらぐらいなのかも、
長年の疑問がこの本を読んで氷解しました。

世代が若くなっても旧態依然な「入籍」などの名称への疑問、
香典返しをなくすための列席者の心がけなど、
斎藤さんならではの考察や視点がキラリと光る一冊です。
『冠婚葬祭入門さん江』だが、『サイトー流冠婚葬祭指南』にもなっている ★★★★☆
 「慶事と弔事の二つの文化を中心に、第1章では近代日本百年を概観し、第2章では結婚の、第3章では葬送の現在を考えてみることにした。(中略)ある意味それは、抱腹絶倒の文化なのだ」(piv)、と「はじめに」にある。
 第1章は、すでに歴史研究や民俗学などが指摘していた事実を斎藤流に再編集し、それをベースに古い冠婚葬祭マニュアルを茶化していくスタイル。随所に鋭い指摘が散りばめられているのも確かだが、昭和初期の入門書から葬式関係の記述を引用した後、「それだけかい」(p31)。戦前の結婚心得書のセックス情報を引用して、「花嫁の母が読んだら青くなったことだろう」(p36)、といったツッコミが斎藤の真骨頂。61年発行の手引書の「初夜の心得」から一部引用した後、「下手なナンパ読本よりよほどよくできている気がするが、もったいないので中身は教えてあげない」(p57)とあったのには、本気でムッとしてしまったが…(笑)。
 で、2・3章はむしろ『サイトー流/今を生きるための新・冠婚葬祭入門』とでもいった風情。結婚については斎藤らしいフェミな観点が貫かれていて、それなりに笑えたが、葬送に関しては「各種入門書から、使えるアイディアと注意事項を拾ってみました」的で、「抱腹絶倒」の謳い文句がすすり泣くゼッ、て感じ。これってもしや、著者が結構マジになってたためじゃないかと、つい勘繰ってしまったほど(だって本書発行の06年には、著者のお父上は80歳を超えておられて、それなりに意識はしていたと思うから)。
 ところで、「神道で生まれて、キリスト教で結婚し、仏教で死ぬ」等のお約束の例を挙げて日本人の宗教的寛容を言い、「宗教上の対立やテロや戦争が発展する現在、この寛容さはむしろ誇っていい」(p151)と続くのを見つけ、読んだばかりの末木文美士『日本宗教史』中の「日本伝来の多神教は寛容であり、平和的であるという奇妙な宣伝」(p133)という言葉を思い出して苦笑してしまった。あと、p179の「遺体の扱いというものは、意外にナーヴァスな問題なのだ」は、「ナーヴァス」の使い方がヘンだと思うんですが…
けっこうタメになります ★★★★★
 斎藤美奈子の仕事って、けっこう力が入っていて楽しいって思う。膨大な資料から、意外な事実を暴き出す、というものなのだから。かつて、同じ岩波書店(今はなき、岩波アクティブ新書だ)から出した「戦火のレシピ」は、戦時下において何を食べていたか、だけではなく、実はお米は本当はぜいたく品ではなかったことや、さまざまな代用食を紹介している。そもそも斎藤のデビュー作「妊娠小説」もまた、ニュートラルな視点から、さまざまな小説を読み解くという力技だった。
 ということで、「冠婚葬祭のひみつ」である。学習まんがのタイトルを意識しているとのこと。斎藤はここでも、膨大な資料を読み、結婚式や葬式がかつではどのようなものであったか、それがどのように変化してきたのかを、明らかにしている。例えば、「家」という発想は明治時代からのものである、とか、ハウツー本は裕仁のロイヤルウェデキングからとか、そういったことである。本には「お床入り」のことまで書いてあり、親切この上ない。そして現在の冠婚葬祭をつくったのは、戦後のベストセラーになった、光文社のカッパブックスによる「冠婚葬祭入門」だとか。
 考えてみれば、結婚式場なんて昔はなく、家庭でやっていたものだった。まあ、住宅事情が事情だからできるというものだけれども、ぼくの母親もそうだったらしいし。実はたいして伝統のない、いまどきの冠婚葬祭なのである。
 斎藤が今回の本を通じて送るメッセージは、結婚についてはやはり、これまでのジェンダーバイアスがかかった式というものを否定し、個人が個人らしくあるような式というものを提案している。葬式についても同様で、自分が死んだらどんな葬式にしたいのか、それは生きているうちにやっておくべきだという。自分の葬式や肉親の葬式について、あらかじめ調べておくことは必要だし、表立ってやらなければいいということである。
 ともあれ、冠婚葬祭にはお酒はつきもの。その席で、本書に示された薀蓄を披露するというのは悪くない。だって、それは結婚式を挙げる人、あるいは故人のその人らしさを少しでも出していくきっかけになるのだから。
(マニュアル本a+マニュアル本b+・・・+マニュアル本x)=作法 ★★★☆☆
結婚式はなんだかんだいって未だに女性の華だし、「人のふれ合い」が希薄になったといわれる現代でも、亡き者のために
葬式は粛々と営まれている。
「毒舌評論家」斉藤美奈子が今回ターゲットにしたのは、そんな現代の日本人にとっても一番デリケート部分、冠婚葬祭だ。

第1章では綿密な分析で冠婚葬祭の起源をたどり、第2章で結婚の現状を考え、第3章でこれからの葬送を模索している。
読み物として面白いのは断然1章である。
今まで親戚の葬式や法事とかがあれば、「めんどくせぇ〜な〜」と思いながらも、伝統行事なんだから仕方ないと嫌々参加
していた私であるが、斉藤の仕事はその伝統というものがいかに胡散臭いかを解き明かしてくれる。お焼香とかなんだと、
みなさん長〜い歴史ある作法だと思っておられるだろうが、あれはごく最近、古くても明治以降に定まったものなのだ。
そもそも仏教と葬儀のつながり自体を自明視していた私からすると、両者はビジネス的な側面でつながった関係であ
るというのは卓見だった。現行の葬式の「しきたり」なんて、業者が「手探り」で編み出したものなのだ。
ではなぜそんなものを、みなせっせと大枚をはたいて繰り返すのかというと、冠婚葬祭のマニュアルにそう書かれている
からである。
斉藤によるとマニュアル本は、何を元につくられるかというと既存のマニュアル本なのだそうだ。そのようにマニュア
ル本がマニュアルを脈々と受け継ぐことで、「伝統」の正当性が強化される。この転倒した営みが日本の冠婚葬祭には
あるのだ。

しかし、この調子で2、3章と行くのかというとそうでもない。
ここはこの本を岩波の新書として買ったか、斉藤美奈子の本として買ったかで評価は分かれるだろうが、従来の斉藤の本と比較
するとつまらなくなってくる。第2章は、戸籍(新しく男女が結婚すると「入籍」というが、本来は新しい戸籍をつくるの
だから間違っているらしい)や夫婦別姓の問題など面白くて読めるのだが、第3章はもう説教くさくなってきていて、読み
物としてはつまんない。

旧来のマニュアルを「うるせいジジイ」「おせっかいババア」と斉藤は揶揄しているが、最後のほうでは彼女もそれらとな
んら変わらなくなってきている。
裏表紙で確認すれば、もう彼女も半世紀を生きている。そういうおせっかいがいいたくなる年代に来てしまったというこ
となのだろうか。