『暴力論 レジスタンスの政治学』
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この著の古典ぶりは言わずもがななので訳語について紹介してみます。
ロックのこの本のなかのviolenceとforceの使い分けにもっとセンシブルになるべき、だと私は考えます。
この翻訳では、場所によってはforceを暴力、と訳したりしています。
violenceは暴力、forceは(強制的な)力と捉えるべきです。そしてforceは軍事力などの意味も含むものです。
言ってみればviolenceは水平的関係間でのもの、forceは垂直的関係間でのもの、と分類できるでしょう。
たとえば有名な場所で、
「誰でも権利がないのに、forceを用いるものは――法が無いのに社会でforceを用いるものは誰でもそうなのだが――自分が力を用いる相手の人々に対して、自分を戦争状態におくことになる。この状態では、これまでの一切の紐帯は断ち切られ、その他の一切の権利は終息し、すべての人々が自衛の権利、侵略者に抵抗(resist)する権利をもつのである」(232頁)というのがあります。
ここでforceを単に「力」とするとわかりにくいです。「強制力」とし、軍事力の意も織り込んでよめばすっきりします。
また、最も有名な「抵抗権right of resist」(209頁)についてですが、
これまた動詞resistとopposeが混同して訳されています。
たとえばopposeが「反抗する」(205頁)とされていますが、
日本語の反抗には縦のベクトルが組み込まれています。
代案を出すとすれば、opposeを「反対する」、resistを「反抗する」に統一することになります。
以上、force/violence、resist/opposeについてこだわって紹介してみました。
最期に、明白な語訳を示しておきます。
229頁に「消極的抵抗」とありますが、これはpassive obedienceであり、「受動的な服従」です。だからこそ次の「静かな屈服」とつながるわけです。
「当たり前」の無かった時代の話
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啓蒙主義の幕開けを告げるエピックメーキング的著作、ロック『市民政府論』。
近代初頭のこの手の本を読むときにいつも悩まされてしまうのは、書いてあることが今ではあ
まりにも「当たり前」であるということだ。市民政府がなぜ必要なのか。人々の所有がなぜ尊
ばれなければならないのか。それら今では当たり前で、その上で僕らがあぐらをかいている
強固な自明性の地盤そのものを疑うことは、あまりにも難しい。それら「当たり前」のことに
ついて、なぜロックが懇切丁寧に論じるのかというと、しごく簡単。当時はそれらが「当たり前」
でなかったからだ。これは、僕らの享受する当たり前が、当たり前になり始めたころの話。
とはいえ、それらロックから現代まで通ずる問題意識の中でも、未だに解決されないものがある
ということは興味深い。例えば育児問題。生まれた我が子を支配する親の権力(=父権)は、
寄る辺なき存在として生まれる我が子を養うという「義務」と同伴するのだ。子どもが自立す
れば親は支配はできないし、育てる義務を放棄したとすれば、そこで支配する権利も剥奪され
るべきなのだ。そのことを約300年以上も前の人が書いていたことに驚嘆を覚えるとともに、
未だに育児放棄や虐待が起きているということにやりきれなさを覚える。
また「立法府の解体」についてもラディカルである。立法府とは最高の権力であるが、それが
立法にそぐわぬ決議や法律を作った時点で、現立法府は変容し「解体」したとみなし、新しい
政府を生むべきだと、彼は説く。
反対にこの時代と僕らの時代の隔たりは、訳者が解説で明かす通りその「所有」のあり方に見
いだせるだろう。自分の労働の対価として得た所有物への所有権は、何人も侵害できない。人
権を個々人の幸福の追求としてではなく、永久不可侵の所有権を基盤に描いたため、人の命は
奪えてもその人の持っていたものを奪うことは許されない、という少々今から考えたらおかしな論
が展開されていることには、注意が必要だ。
今と照らし合わせながら読むと、よりいっそうな理解が深まる政治社会論の古典。
偉大なる古典
★★★★★
是非、手にとって読みたい本の1つです。
この本と一緒に「社会契約論」も読むと良いと思います。
時間がないという方は、第1章・第2章を読むことをお薦めします。
ロックの思想の根源がそこに書いてあります。
人間の平等・政治権力、そして自然状態についてです。
特に、自然状態と自然法の考え方が、後世に与えた影響は計り知れません。
ルソーの社会契約の本質も、この考えが土台にありますので。
全編を通して読むと、あるべき政府の根本を理解することが出来ると思います。
立法、司法、行政と明示されていはいませんが、第9章以降に3権分立の考えも表れます。
この本をきっかけにすることで、他の様々な啓蒙思想の本が読みやすくなると思います。
官僚や政治家に都合の良い政府となった、この国の政府の在り方を見つめ直し、
批判する力をつける1冊になる力強い本です。
政治参加、それは例えば本を読むこと、物語を知ること
★★★★☆
歴史において市民革命を知らぬままに「近代」的な法形式、政治形式を取り入れてしまった
この国においては、市民が知的に革命を経験することによってのみ、その歴史の不在や矛盾を
補うことができる。そのために必読の一冊。
本書は『政府二論 Two Treatises of Government』の第二論文の翻訳。ロック本人の英語は
あまりに悪文で、頭痛なしには読めない代物。
理解にはまずなによりも、トマス・ホッブズの前提が欠かせない。まずはそちらから読まれる
ことを強力にお勧めします。
その上で、ロック的特質のハイライトと言えば、何を措いてもかの高名な「抵抗権」の議論。
他のレビューが言及するように、ひとつには、アメリカの建国理念と現行の合衆国憲法の理解に
不可欠なお話。無論、日本国憲法が想定する政治システムを把握するためにも限りなく有効。
各人が賢き市民たること、それこそが「近代」の不可欠の要素。そのための前提をなす
重要な一冊。
読みやすい古典。
★★★★★
自然状態、自然権、社会契約、立法府の最高機関性、抵抗権といった概念が本来どういう意味であったのかを理解するためには、原典である本書を読むのが一番だと思う。所有権の絶対性や正当防衛、親族関係について論じた部分は、現代アメリカ保守層の倫理観を理解する上でも有益である。17世紀の本なので敷居が高く感じられるかもしれないが、読んでみれば分かるとおり、何も難しいことが書いてある訳ではない。速読すれば1日で読了できる程度のものである。時間対効果は極めて高いと言えよう。
なお、他のレビュアーも指摘するとおり、「しかも」を逆説の意味で使い、関係代名詞をすべて「〜するところの」と訳す等、岩波文庫版の訳文にはやや不自然な所がある。それでも全体の理解には差し支えない。
また、ロックは同じことを繰り返し長々と説明しているので、一文一文を丹念に精読していると途中でウンザリしてしまうかもしれない。少なくとも最初に読む際は、パラグラフごとの要旨を拾い読みするつもりで速読した方がよいと思う。