公民状態から国制の形成へと続く契機にはたらくスピリットとしての法
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日本の義務教育の課程で設定されている「公民」という科目の持つ実質については、それを学んだ当時でも、この文庫を読むまでの長い日々でも上手くイメージすることが出来なかった。ジョン・ロック、ルソーと共に人権思想にまつわる三大思想家として中学校で紹介され、人名と書物名を暗記させられる対象として「モンテスキュー」・「法の精神」という一対の言葉に触れてきたのが実際のところだったのは、否めない事実だった。今回この文庫を読んでみると、多くの書物についてと同じように、流通しているイメージとはまったく違う手応えがあった。イメージは流通するが書物は流通しない、という柄谷行人の言葉を思い出す。
原書が1748年に発表された本書は、文庫では上・中・下の三巻に分かれていて、第一巻では全六部のうちの第一部と第二部が収録されている。第一部では法律一般についての導入部から始まって、法律が効果を持つために欠かせない国家形態=政体の三区分とそれぞれの政体内での区分、各政体が持つ本性と原理についての分析、以下、各政体に内在する本性と原理に則った各論が展開していく。教育・実定法・裁判・刑罰・奢侈禁止・婦人の地位・各政体の原理の腐敗について論述が進んでいくが、他のレビュアーさんもおっしゃっている通りその考察は非常に明晰で説得力があり、ある種の殺し文句的な名文句も散見される。著者が常に留意しているのは、事物の本性と発展の原理をまず明らかにし、そこから物事の帰結を考えていくという姿勢で、何かアダム・スミスの「国富論」と非常に似た思考の動かし方を感じる。
そして冒頭の「公民」についていえば、訳者の凡例の部分でcivilの訳語としてここでは用いられているとあり、本文で著者は「公民」を、社会の構成員がそれぞれ自分の計画に従って目標を果たそうと、互いに関わり合いながら生きるために寄り集まる状態、「公民状態」に生きる人のこととして定義している。その際に必ずなくてはいけないのはいずれかの形態による政体で、それは公民状態との係わり合いで国制を形成する。その形成過程で決定的な役割を果たすのが法、法則としても実定法としても表象する法の本性、法の精神である、というのが最初の部分の問題提起で、そのことを具体的に考察していくのが以下の部分になっている。三権分立についての記述は第二部第11章、上巻に収録されているが、その部分でこの書物が語りつくされることは、この書物を矮小化することになると思う。
中巻・下巻を読むのが楽しみ。
未来への警鐘
★★★★★
250年以上もの古典とは思えないほどの本である。訳者が優れているのか、モンテスキューの表記が優れているのか?法律全般の考えを述べているのかと勘違いして読んでみると、当時の歴史から例を挙げて、それらを検証しつつ問題点をズパっと切り込む書き込みに面白ろい。
と同時に、現在の政治状況を考えると古典が警鐘した問題を繰り返しているようにも見える。モンテスキューの定義した例題と、それらを切り込む評価が陳腐化していない事に驚嘆を感じる。と、同時に現在に於いてもモンテスキューのテキストが持つ問題点を克服できない事に、現代人の読者として嘆息せざるおえない。
自然法の系譜
★★★★☆
翻訳は80年代後半であるが、「世界の名著」に比べて、あまりにも直訳、生硬でちょっと読みにくいが、モンテスキューだけあって非常に明晰である。
彼の思想は英国の契約説の影響を受けていず、法の内在的、生得的思想である。その意味では伝統的な中世以来の自然法を受けつぎ、ヘーゲルにつながる系譜を担う。
おもしろい「古典」
★★★★★
本書は、三権分立の起源としてあまりにも有名。また、政体の類型を3つに分けて「君主制」「共和制」「専制」について、そのヴァリエーションを含めて議論を展開するのが比較的最初のところに出てくる。そこで、「政治学」の本だということで高校の世界史や倫理・社会の授業でも習うが、読んでみると実情はだいぶ異なっている。まず、三権分立の話は、それとして気をつけて読んでいないと通り過ぎてしまうほど、主旨としては論じられていない。また長大な全体に比して、政体原理論は限られた紙面でしか論じられない。本書の眼目は、あくまでも社会の本質論と歴史だ。これを、法と政体が一体何によって支えられているか、という形で論じている。その眼目は風土にあるのだが、還元主義的な発想は無く、風土を人間の意識が及ばぬ重要な要因として認めつつ、結果的には、人々の精神のありかたが、法や政体を決めてくることを説いている。そのために動員される情報量は圧倒的で、ローマ史を始めとする古今の歴史、習俗、法の諸事例など、枚挙に暇が無い。法制史、歴史の古典としての位置も当然首肯できるものだ。具体的な諸事例の著者の批評、判断が無双の優秀さで、読者を惹きつける事は間違いない。法哲学、法制史、制度史、社会学などの「古典」としてそのカバーする範囲は広大だが、まずは、「おもしろい」読み物であることが「古典」の中では違例だと思う。
「法」を政体や社会の観察に基づいて考察し、現代に大きな影響を与えた古典
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250年以上も前に著され、現代に直接大きな影響を与えている「法」についての古典。「法」を、政体や社会の観察に基づいて考察している。その概要は下記のようなものである。上中下の分冊なので、上巻にまとめてレビューします。
三つの政体(共和政体、君主政体、専制政体。共和政体は貴族政体と民主政体に分かれる)と法の関係を主として扱った第1部と、国防や貢租と法の関係及び三権分立論を扱った第2部からなっている。専制政体、君主制体、共和政体を動かしている原理は、各々、恐怖、名誉、政治的徳であり、法は君主制以降で必要になり、民主制に至る順番で重要度が増してくる。三権分立について、その思想の目的は公民の政治的自由の獲得であり、方法は立法・行政・司法が国の組織として独立した権力を持つことである、と述べている。
以上のような著者の考えは、フランスを始め当時得られた世界各地の政治・社会情勢や歴史(主にギリシャとローマ。一部ペルシャ・中国等アジアを含む)を、そこに存在した政体ごとに特徴付けられる法との関係において考察することで創られている。因みに日本についての記述もちょっと出ているが、その内容はご愛嬌。
著者が何故そう考えたかを理解するには、当時の西欧社会だけではなく、ギリシャ・ローマの長い歴史を学ぶ必要があるのだろう。また、当時のフランスは君主制であり、著者の発言は当時必要とされたであろう護身の程度に制限されている点の配慮も必要である。