死神が語る唯一の真実
★★★★☆
『本泥棒』というなんとも魅惑的なタイトルに惹かれて手にした本。
死神の目と言葉で語るリーゼルという少女の物語。
本の表紙カバーには例の長い鎌を持った死神のイラストが描かれているが
この死神は鎌を振り下ろすことはしない。黙々と死に逝く人を運ぶという
己に与えられた仕事をするのみだ。
字が読めなかったリーゼルが里親の父・ハンスの助けによって、「ことば」を獲得し
世界をことばで表現できるようになる過程がとても印象的だ。
本に飢え、ことばを心の栄養にするがごときようすは凄味を帯びている。
ナチス・ドイツ、ヒトラーの圧倒的な支配力に抑圧される時代だ。
その抑圧と恐怖のなかで、ユダヤ人青年・マックスを匿うリーゼル一家の
人としての正義感が読者の共感をよぶのだろう。
リーゼルの父・ハンスも母・ローザも、「人間」として生きたのだ。
ヒンメル通りの人々は個性的で、隣家のルディ少年とリーゼルの関係は
とりわけこの物語に明るさをもたらしている。
リーゼルは決して幸福に生きたわけではないが、彼女に関わる人々が
彼女にもたらしたものを、「ことば」できちんと再構築するという作業が
リーゼルの血肉となったのだ。
「愛」の記憶は人を裏切らない。
死神にさえ「わたしは人間にとりつかれている。」と言わしめるほどに、
真正直で、与え与えられる愛をやりとりした人間の魅力がいっぱいに
詰まった作品である。
宣伝が期待を募らせるだけ
★★☆☆☆
685ページという長編、2005年オーストラリアで出版され大きな反響を呼び、2006年アメリカで児童書として出版されると61周目のベスト10入り、アイルランド、ブラジル、イギリスなどでベストセラーの上位を占めている、などと聞くとつい読みたくなる。
私はそのつい読みたくなる口で読みましたが、読後大絶賛する程の本には感じなかった。
ナチス政権下のドイツに生きる字が読めなかった主人公リーゼルが、ハンスと少しずつ字を覚えていくことで、1冊ずつ本泥棒する気持ちを押さえられない言葉の持つ力を知る。やがてリーゼルが自らの物語を書くべく1冊の本と巡り合い、その本を彼女の命を救うことに繋がる。が、彼女は空襲で大切な家族、愛していた人々を失ってしまう。取り乱した彼女は、そこで本の存在を忘れてしまう。彼女が忘れていた本は、リーゼルが書いた本という誘惑に負けて死神が手にしていた。
ナチス政権下での本当の悲惨さを簡略してしまうのは歴史に対する冒涜だし、言葉の力を持つ本の素晴らしさを伝えるのであれば本を盗まれた人の気持ちはおざなり。
要は子どもだましのファンタジーであり、むしろ子どもにこういう中途半端な本を読ませなくてもいいと思える。
もちろん人それぞれの感動が本にはあるので、この本を最高傑作という心を否定するつもりはない。
ただ、わたしには評価が低いだけだ。
一言一句覚えたい作品
★★★★★
いやもう、素晴らしい一冊。文句無く、私の『人生のベスト10』に・・・もしかしたら上位に入る一冊。生まれて初めて『作家』というものにファンレターを送りたくなった。こんなに素晴らしい小説を読む機会をくれてありがとう!これほどの物語を生み出してくれてありがとう!と言いたくて。
まずキャラクター造詣が素晴らしい。緻密に積み重ねる事によって、登場人物一人ひとりが、次第にそして鮮明に脳裏に焼き付けられる。余りにも生き生きと『人間臭い』キャラクター達に、深い親しみを感じることだろう。
手法は、前翻訳作『メッセージ』と一緒で、ちょっと変わった感じだ。しかしそれが煩わしく感じるどころか、逆に計算された巧妙さで仕掛けられていることに気づかされる。いくつかの仕掛けがあるのだが、中でも巧妙なのが、結末を小出しに、先に見せてしまうこと。
なんだって!?と思われるだろうが、この手法の巧妙さは、読まれて実感して欲しい。先が解って興味を失う?とんでもない。驚くほどに興味が溢れ出ること、請合っても良い。そして読み続ける辛さも増す。これが辛いところだった。
全体の構成力の素晴らしさ、作家の力量のみならず、編集者の力すら感嘆の領域に押し上げるほどの無駄のない文章運び。普段は良い小説に出会うと、『原書で読みたいなぁ』とないもの強請りをするのだが、翻訳も素晴らしく、このままで十分と思えた。
プロットが良い。言葉に魅せられた少女の物語だ。丁度時を同じく、『言葉』によって世界を征服しようとした小男がドイツを混乱に陥れていた時、少女は『言葉』の深い意味を学び、その力に魅入られて行くのだ。こういうプロットは、同じく言葉を愛する読書家の皆さんには、より強く訴えかけるのではないだろうか?
オーストラリアの作家が描いたとは思えないほどの、臨場感あるナチス・ドイツの世界。しかしそれだからこそ感じられる中立的な目線が良いバランス感だった。よほど深く研究されたのだろうが、当時の世界をしっかりと自分のものにして描かれているのが解る。ドイツを責めるではなく、ありがちに擁護するでもない。善悪の境が見えない、普通の人々の苦悩が丁寧にかつ辛辣に描かれていた。
この作品を最後まで読んで思った・・・というより、実感として感じたのは、『戦争の物語を読んでいる』のではなくて、『本に戦争を仕掛けられている』とうものだった。体感として、そういう感覚を味わった。変な話、バーチャルな戦争を本に仕掛けられたのだ。読んで、そして私と同調してください。お願いします。
私はこの作品を読んで、第二次大戦下のドイツを経験した。リーゼルと出会い、親友のルディと遊び、ハンスやローザと過ごし、マックスと語らった。彼らの思いを知り、彼らの辛さを知り、彼らの一部として窓の外を見た。そして彼らを失った。。。容赦なく畳み掛ける戦争の現実、暴力、苦しみ。この気持ち、この痛み、この喪失。本を読みながらその『言葉』が浮かび上がり、それらが爆弾や迫害や様々なものに形を変えて私を襲う。まさに戦争が私に襲い掛かってきたのだ。本そのものが、私の心に忍び込む戦争になった。
こう思えるのも、この作品が悲劇的で暴力的な時代や出来事を描いているにも関わらず、限りなく優しい文体であり雰囲気であったから。そして先に述べたように、素晴らしい人物描写があったからだ。そして、恐ろしいほどの喪失を味わうべく用意された、作者の巧みな演出のおかげ。それでもまだ、この作品は優しく美しいと思えるから不思議だ。だからこそ、ラストも感動的だった。
久々に、読書の楽しみを知っていて良かった、言葉を愛していて良かったと思える作品に出会った。これまで読み続けてきたからこそ出会えた作品。手元において何度も読み返して、一言一句覚えたいと思う小説に出会ったのは、実に幼稚園以来の出来事だ(笑)。
マークース・ズーサックは、天才的な文章を書く人ではないと思うが、実に優しく読者の心に入り込む文章を書く人だと思う。彼自身、リーゼルのように、深く言葉に魅入られた人なのだろう。もちろん、その基盤にあるのは、リーゼルのように暴力的な苦しみからではないのだろうが。
そして、その言葉を慈しみ、丁寧に扱うことによって、優しく解りやすく描くことが出来る人。そうした言葉を使って、必ず深い意味を伝えようとしてくれる作家だ。決して、娯楽で終わらせない物語を描き、それでいてきちんと娯楽の要素を保っている。なんとも才能に恵まれた人とはいるものだが、その能力をこうして惜しみなく活かしてくれているので、私達読者は、最良に巡りあうチャンスがあるのだ。
ワードシェイカー
★★★★★
「本」の持つ力が最大に発揮された傑作。
第二次世界大戦のドイツ、モルキングのヒンメル通りが舞台。語り手は死に神。
ヒトラーは「言葉」により世界を支配しようとしましたが、主人公のリーゼルは「言葉」により自分自身や周囲の人間の心を支えました。
同じ「言葉を揺する人」(ワードシェイカー)でありながら一方は破壊を、一方は癒しを発揮。
マックスがリーゼルに送ったプレゼントは出来映えとしては稚拙かもしれませんが、あれほど愛情溢れる作品はないと思います。
リーゼル、家族、友人、本、言葉、盗み、キス、ユダヤ人、ヒトラー、そして死神
★★★★☆
タイトルが気になったのと、帯に”アンネの日記+スローターハウス5”と書かれていたため
読んでみた。(スローターハウス5が好きなので。7:3でアンネの日記寄りだと思った)
”死神が語り手”で”主人公が少女”というのが、子供っぽいファンタジーな気がして買うまで悩んだが、タイトルとカバーが好きで買った。
決して子供っぽいファンタジーでないし、デスノート的死神でもなく、第二次世界大戦中の
ドイツに住む少女リーゼルの、まぁ、人生の話かな。
前半はなかなか興味を惹かれず(だから☆4つ)、進まなかったけど、ある人物の登場から
とても先が気になるようになり、胸が締め付けられるようで、後半は号泣してしまった。
ただひたすら悲しいだけのストーリーではないので、読んでみてください。
私は、読んでよかった。