インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)

価格: ¥777
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
Amazon.co.jpで確認
哲学(考え方)の下層を探ってゆく良書 ★★★★★
世の中がどんどん複雑になって個人が知識として知っていることなどほんの一部となった。
しかし世の中は、古人の知識では判断できないことを「判断しろ、選べ、決めろ」
と,迫ってくる。
そういったどんな難問にも答えられる『考え方』それが哲学。で。いいのだろうか。

きっと本書を最後まで読んだときに上記の疑問は解決しているかもしれない。

著者は言う。
「ある哲学の考え方がなるほど面白いと感じられるのは、(これまでの自分の単純な)
 見方の表層がめくられて、その下層があらわにされる場合だ」

ということでその下層、その下層と考え方の下層を探る良書である。
複雑な議論の交通整理 ★★★★★
 現代思想は、はっきり言って分からない。なぜなら、思想書・哲学書に書いてある文が不明だからである。(岩波文庫で出ている思想家・哲学者の本を一冊でも読んでもらいたい。たぶん、普通の読解力では何を言っているのか分からない。)だから、現代思想の議論には交通整理が必要だ。

 本書はその交通整理の役割を果たしている。誰が、どのようなことを、どのような根拠に基づいて言ったのか。これをコンパクトにまとめた一冊がこれである。私はこの本に引き込まれ、一気に読んだ。
これは現象学の方法による現代思想の言葉の解読 ★★★★☆
生物の進化はミトコンドリア・ゲノムの解読で解明される。例えば、アフリカゾウは約760万年前にゾウ科から分岐し、マンモスとアジアゾウは約670万年前にゾウ科から分岐したと推定されている。同様に、哲学の進化は思考のゲノムとも言うべき言葉を解読する手法が重要である。なぜなら、進化は幹(とされる言葉の共通了解)だけではなく枝葉(とされる言葉の共通了解)からも起こり得るからである。例えば、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読むと、著者自身が枝葉を突き進んで更なる進化の巨大な扉を前にしながらも、幹に立ち戻る場面がある。その扉は別の勇者が開くことになるだろう。
本書は、「現象学」の手法によって“現代思想の言葉を共通了解できる”道(i.e. 扉)の存在を解読する実験のように感じた。タイトルに冒険という名が付いたのもそのためであろう。『はじめての現象学』を読んでから本書を読むと、そのことはいっそう明白になる。

現代思想の冒険的単純化 ★★★☆☆
『現代思想の冒険』というには、現象学より後の「現代思想」に対する
著者の個人的な嫌悪感が強すぎて、「現代思想」が単純化されすぎています。

「現代思想」は、デリダ的な「懐疑論的パラドックス」と
ドゥルーズ的な「生成」の「ほぼこのふたつのどちらかに属しており」、
「ドゥルーズ的」な中沢新一は、
「カントの考えを反復しているにすぎないことは明らか」だそうです。
(p. 169−171)。
「現代思想」ってそんなに単純でしたっけ?

「大雑把に言えばデリダの"認識批判"の仕事は前者[思想から社会批判という性格をきっぱり取り払う]に近く、
ボードリヤールやドゥルーズの仕事は後者[社会批判の性格だけは残す]に近い」(p.104)。
これじゃあ、デリダの認識論が「社会批判」の仕事にコミットしていないみたいですね。

そもそも著者は「現代思想」と連呼し、
あたかも「マルクス主義」、「現象学」、「実存主義」などと同じように、
「現代思想」という名のグループがあるかのように論じ、批判し、切って捨てるのですが、
あれだけ一人ひとりが個性的な知性を誇り、
互いに激しい論争を繰り広げた思想家たちを、
あたかも一グループのように取り扱うのは、
初学者を誤った方向に導く危険が大きいと思います。

「思想は、さまざまな人間のさまざまな考え方を単純化(原型化)しようとする努力なのである(この努力がちっともその理想に向かわないのは皮肉なことだ)。」
(p. 105)
これは著者の思い違いではないでしょうか。
特に「現代思想」では、できるだけ「単純化」から逃れ、
「迂回」などとも呼ばれる方法論を取ることが多いのは、
意図的なものでしょう。
むしろ「単純化」は竹田さん個人の思想観でしょう。
だから、本来複雑多岐にわたる思想を「単純化(原型化)」する本を量産しているわけです。
しかし、だからといって他の思想家たちが竹田さんと同じ考えを持っているわけではないはずです。
現代思想、美味しいトコ取り。 ★★★★★
守備範囲の広さ、明快な解説が素晴らしい。独特のチャートも、いいアクセントをなしている。ただ、ひとつ難を挙げるなら、最終章のバタイユに関する記述だろう。ご存知のとおり、竹田は、「欲望相関図式」を掲げ、「エロス的現象学」を提唱している(竹田青嗣『現象学入門』NHK出版、同『はじめての現象学』海鳴社など参照)。最終章では、こうした竹田自身の理論と、バタイユの理論が、渾然一体となっており、誤解を招きやすいのではないか。この点を除けば、再読、再々読にも値する、「座右の一冊」となりうる。橋爪大三郎『はじめての構造主義』、浅田彰『構造と力』との併読を薦める。