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現象学入門 (NHKブックス)

価格: ¥966
カテゴリ: 単行本
ブランド: 日本放送出版協会
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書いててヘンに思わないのだろうか? ★☆☆☆☆
第一章のはじまりからおかしな記述あり。

著者は、数学者として出発したフッサールがこの分野で考えていたことを「確実なもの」と「あいまいなもの」の関係であるという。

「確実なもの」の例としてあげるのは、「1+1=2」のような数学的記述でこちらにはたった一つの意味しかなく、「あいまいなもの」の例としてあげるのは「キミは馬鹿だ」というような日常的な言葉使いであり、こちらには、無限のニュアンスがありうる、という。

しかし、一方の言葉使いが「確実なもの」で、一方が「あいまいなもの」であるという対比としては、上のような分け方はおかしい。

「1+1=2」にはたった一つの意味しかないから「確実なもの」だ、というのなら、「キミは馬鹿だ」という言葉使いにも意味はたった一つしかないのだから「確実なもの」に違いないだろう。

また、「キミは馬鹿だ」という言葉使いに無限なニュアンスがあるから「あいまいなものだ」というのなら、、「1+1=2」という言葉使いにだって無限のニュアンスがあるだろうから十二分に「あいまいなもの」だと言えるだろう。

はじめからこのような調子で書かれている書物がどれだけ信用できるかはなはだ疑問。
「生きた現象学入門」の名著 ★★★★★
序章〜第4章が著者の主張とその論証。
用語解説はその理論の圧縮であるという印象を受けた。

竹田現象学の核をつかむには、
第5章以外の部分の読解に、
より多くの時間を割く方が良いように思える。

第5章はそれを踏まえた上での、
竹田現象学の更なる展望と現代思想に対する批判だが、
論理(思想)的には多少ラフスケッチという感じだし、
入門書以上の内容のように思える。

フッサールの原文、被批判者の原文を読んだ上で、
判断する方が真摯な態度と言えそうである。
現象学は、近代哲学の難問を解き、ひとつのまったく新しい問題の地平を開いた ★★★★☆
 その難問とは、「主観と客観の二元論」であり、その解き方の鍵は、「諸原理の原理」としての「原的な直観(知覚直観と本質直観)」と、「現象学的還元」という方法にあり、その地平はフッサールによって拓かれたが、現代においてもその理解には多くの誤解が含まれている、と著者は述べています。
 著者の言う、「ひとつのまったく新しい問題の地平」がなんであるか、については舌足らずの紹介をするより、この本を読んで感じていただく方が良いと思いますが、ただ、それは、人間が「ほんとうのこと」として認識して確信する根拠は一体どこにあるのだろうか?と問い直すという視点変更によってもたらされるものである、ということだけは間違いないと思います。
 現象学に初めて接する方にはやや難解だと思いますが、フッサールやハイデガーなどを読んでみたけど今ひとつ何を言わんとしているのか分からなかった方、また、デカルトから始まる近代哲学と現象学の繋がりを整理して理解したい方にも、とてもよい参考書だとおもいます(巻末にある語句の解説を読むだけでも現象学のエキスに触れる事ができます)。私も、そのような参考書として4年程前から利用させてもらっていましたが、今回改めて再読してみて、この本の価値を再認識致し、レビューしてみた次第です。
疑問再出。 ★★★★☆
疑問が再出した。意識の外には出ることができず、客観的な」存在に照らして「自身の確信」の真偽を問うことは背理だ、という本書の見解について。自身の「確信」の根拠、「確信を成立させる」構造を吟味することに、現象学の本質があるといっている。すると、「絶対」的な真ではなく、可能な限りの正しさに迫ろうということなのだが、しかし、そうであれば、敢えて現象学といわなくても、物事に疑義の可能性がある場合、日常我々がやっている調査や反省とどこが違うのだろう。意識の外に出れない以上、意識の中のことか、外のことかは、分別の意味はなくなり、すべて自身の意識の中での劇となる。逆に言えば、徹底的な実在論者と同じだ。せいぜい、「権威」や「先入観」に支配されないように、極力気をつける、というはなしと大差があるとは思えない。私には、フッサール自身はやはりそんなことは言っていないように思える。フッサールには、当時形式的に見える数学や論理や科学理論の自動的な展開による処理の仕方が、本来の事象そのものへのアプローチから遊離していることへの危惧感からデカルト的な省察に還ったということだと思う。あえて言えば、方法論、方法意識の吟味にその目的があると思う。この話をむやみに拡大して、単なる確信構造の吟味、ということで終始することは、現象学本来の独自性が希薄になるように思えた。事実、現象学はそういう運命にあって、諸科学が現象学を使用しているとは思えず、使用しないがゆえに誤った状況になっているとは言えないと思う。著者自身は独自の方法にまで練り上げ、哲学の解説において成功していると思うが、もう少し用途における位置づけを明確にしてほしかった。
「事件」であった本書は、思考の原理です。 ★★★★★
この書の出現で、哲学への見方が変更されました。現象学の意味と価値を従来の常識に囚われずに独自の視点から解明した本書は、日本の思想界に衝撃を与えたのです。専門の哲学学者は、その大胆でしかも丁寧な思索に裏打ちされた新解釈を理解できず、本書を無視しましたが、これ以降日本では、竹田青嗣を経ずしては、現象学という思考の原理を語ることはできなくなったのです。若い読者のみなさんには、この20年近く前の「事件」をぜひ知ってもらいたいと思い、レビューを書きました。この続きとも言える書が3年前(2004年)に出版された「現象学は思考の原理である」(ちくま新書)です。両書とも、ほんらいの哲学=自分の頭で大元に戻して考える営みをしてみたいと思う人にとっては、必読文献です。