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これが現象学だ (講談社現代新書)

価格: ¥777
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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あなたと私の現象学 ★★★★★
現象学の考え方について、そこで使われる用語の定義を丁寧に解説しながら、順番に手順を踏んでしっかりと説明をしてくれている素晴らしい本。論理の飛躍が無いので、素人でもしっかり読んで行けば着実に内容がわかる形で書かれていると思う。しかし、次から次へ新しい用語が出てくるので、それを頭の中に「把持」しながら読み進めないと迷子になってしまうので大変。とにかく現象学の世界では用語の使い方が一般と異なる使い方をするので、それが分かりにくい要因になっているとということが良くわかる。この本を読むと現象学が取り扱っているものは気がついてみれば当たり前のことであるようなので、「まあそれはそうですけど当たり前のことをそんなに頭をひねって特殊用語を作って考えなくても普通のことばで考えた方が良いのでは」と思わず思ってしまう。「多くの異他的な民族を見知ることによって、・・・、異他的な民族の固有性に対立する、おのれの民族の現存在を自己理解することへの固有の関心が生じるp.238,239」とフッサールが言っているということであれば、現象学の見方によれば自己を理解するには他者が必要であるということになるのではないかと思えて興味深い。現象学のものの見方は、内田樹先生の社会評論や野中郁次郎先生のイノベーション論など多方面で使用されているので、「使える」ものであることは確か。
これでわかりやすくないのなら、困ったもんだ ★★★★★
 毀誉褒貶いろいろあるもんだなぁとレビューを眺めながら感じていた。
 これまで、現象学の入門書としていちばんわかりやすいのは、たとえば竹田青嗣氏の『現象学入門』あたりだろうと思っていた。
 しかし谷氏のこの本を読んで、目下のいちばんはこちらにささげようと思った。
 フッサールの意見そのままではないかという批判もあったようだが、それをいうなら竹田氏の著作のほうがむしろフッサールべったり。フッサールがどつぼにはまった他者論のところなど、竹田氏も義理堅く同じどつぼにはまり、説明できないまま終わっている。
 むしろフッサールの言説に距離が取れているのは谷氏の方だ。
 初めて学ぶ人が混乱するエポケーの説明など、実にわかりやすく説明されているではないか(わかってみれば馬鹿みたいなことなんだけど、がちがちの哲学の言葉以外で語ってくれる人がいかに少なかったかということだ)。
 現象学の始祖としてのフッサールがいかに重要であるかということは当然にしても、もっともっと異なった言葉で現象学を語る人が出てきてほしい。それこそ「現象学運動」というものだろう。谷氏のこの本は、そういう意味でも一定の評価を得てしかるべき書だと思う。
ホントにこれが現象学?? ★☆☆☆☆
「事象そのものへ」向うのが現象学だと序章で言われている(p.14,22)。それゆえ、「これが現象学だ」という題名からして、著者が事象そのものを追求するのだろうと思う読者もいるはずだ。ところが、本書で展開されているのは、ほとんどがフッサールの語ったことの整理・説明であって、「事象そのものへ」向かう議論ではない。「事象そのものへ」というより、むしろ「フッサール先生がおっしゃった事へ」といった感じだ。フッサールという一個人の意識の記述がみんなの意識に当てはまる普遍性・正しさをもつとは限らない。それゆえ、フッサールが語ったことは本当に事象そのものに即しているのかを吟味しなければ、事象そのものへの探求は開始されないだろう。そのような吟味が本書には著しく不足している。

「フッサールの考えを鵜呑みにする人は、フッサールの考えに染まり、それゆえフッサールの思考の枠内でしか考えることができなくなるだろう。そのことによって事象そのものが見えなくなる危険に陥る」と著者は述べる(p.17)。まさにその通り。しかし、この引用がぴったり当てはまるのは著者自身だ。

例えば、主観的な光景の方が自然科学的な世界観より根源的だ(先にある)と著者は言うが、その根拠らしきものは、フッサールがそう考えている、そう述べているということ以外に見当たらない(p.45-48)。様々な物質的な連鎖の結果として主観的な光景が生じる(つまり自然科学が明らかにする仕組みの方が根源的)という、フッサールとは逆の考え方も世間や哲学の世界にはあるのに、そうした考え方をまともに吟味することもなく、フッサールがそう言っているからという理由だけで、主観的光景の方が根源的だと著者は述べる。世界は複数ではありえないという主張にしてもそう(p.197-198)。ライプニッツ、ルイス、初期ヴィトゲンシュタインなど世界の複数性を論じている哲学者もいるのに、そういった議論に一切踏み込まずに、フッサールがそう言っているからという理由以外には何の根拠もなしに、世界は複数ではありえないと著者は主張する。本書の大半の主張がこんな感じだ。

題名の似た『これがニーチェだ』(永井均)は、ニーチェを解説するだけでなく、道徳という事象そのものをめぐってニーチェと徹底的に対決している。谷氏は題名だけでなく、このような哲学的な姿勢も少しは見習うべきである。「事象そのものへ」とか「自分自身で考える」ことが現象学ならば、「これが現象学だ」というのは、看板に偽りありまくりだ。
これが現象学だと何が嬉しいでしょうか。 ★★★★★
現象学の歴史的な役割を、よくわかっていません。
観察対象の系の中の存在である人間には、見えないものがあるはずです。
観測できないものを見ようとしているのか、見えるものだけで解決しようとしているのか。

この本に書いてあるものが、現象学だと、何が嬉しいでしょうか。
レビューにそれを書いてくださる方がおみえでしたら、よろしくお願いします。

哲学、現象学というものの入門にはよいと思います。
欲しいのは入口ではなく、出口ではないでしょうか。
系の中での観測は、「出口無し」なのでしょうか。
フッサール現象学への架橋 ★★★★☆
本書はフッサール現象学の大枠が示されていて、「現象学」というものをきちんと学ぼうという人には大変ありがたい本です。正統的な入門書だと言えます。しかし、「入門書」とはいっても密度が濃く、哲学の初学者にはかなり厳しいかもしれません。あくまで現象学の、それもフッサール現象学の入門書として考えたほうがよいです。私自身、「存在=超越」の意味が何度読んでもさっぱり分からず、谷先生の講義に出席する機会にめぐりあって、そこでやっと理解できた(気がするようになった)くらいですので…。「現象学的還元」とか「超越論的主観性」とかいった概念がおぼろげながら掴めていたほうが、もっとよく理解できると思います。
とはいってもフッサールの思想的源泉や、超越論的現象学までの道のりが示されていて、本物の学者の仕事だと感心させられます。フッサール現象学へと架橋するには確かに「最良の入門書」かもしれません。