神については偶然と必然の変換常数という考え方を提出し、自然についてはフォイエルバッハ=マルクス系の自然観を人間が環境と相互作用して価値化された自然とみなしてそれに過程としての自然そのものを本来的な価値の源泉として提起する。
この自然の価値化の領域の二重化は、後の三木成夫を参照した植物過程と動物過程の二重化にも見られ、言語美との関連を示唆させる。マルクスの指示表出的な自然観に対して、自己表出的な自然観を提示しているのだとも言える。