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国語学原論 続篇 (岩波文庫)

価格: ¥798
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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言語が政治、歴史と交錯する瞬間 ★★★★★
言語過程説は、言語を抽象的差異体系としてではなく、
人間のおかれた場や文脈、その中での言語的遂行を
とおしたプロセス全体を「言語」と規定する。
つまり「モノ」ではなく「コト」としてみようとする
立場だ。

従って、直接のべられていなくても、そこには、所与とし
ての歴史性や政治性に触れる必然性がでてくる。
(そのことは、悪いことでは決してなく、逆に言語を
生き生きととらえることに成功しているともいえるのだが)。

そういう意味で本書は「国語学原論」で展開した「言語過程説」
の検証・応用編といえる。

共通語について意義をみとめたうえで、その確立には
共通的な認識地盤ようなものが必要、みたいなことを述べて
いる箇所がある。
こういったところは、「言語過程説」の理論的帰結というより
時枝氏個人のナイーヴさが現れているところかもしれない。

言語学未満ながら、先達の迫力ある天賦のひらめきが味わえる ★★★★☆
大学で言語学はちょっとかじったものの、時枝のことはほとんど知らないまま、書店で見つけて衝動的に読むことにした。

本書では、いきなりソシュールがこっぴどく批判される。言うまでもなく、ソシュールは言語学を限りなく科学に近づけるため、言語を成り立たせる要素を最小限の要素に絞り込んだ「言語学の祖」である。なぜ時枝がソシュールをそれほど批判するのか、それは本書を読み進むごとにわかってくる。

時枝の説く「言語過程説」は、人間生活と密接に関係する言語をそのままの形で取り出そうとする試みである。いわば「生きた言語」を生きたまま取り出す実験と言っていいだろう。時枝にとってソシュールは言語を人間生活から切り離し(時枝から見れば)「死んだ言語」を学問にしようとした心ない学者に見えていたのではないか。時枝が言語を語るとき、それはまさに人間生活を語ることそのものである。本書の時枝は、言語学者というより、まるで在野の哲学者のように見える。

だが、残念なことにこの試みは必ずしも成功していない。時枝が生活・文学と言語、言語の社会性を力説するほどに、本書が論理の書ではなく、経験の延長になる「ひらめき」の段階で終わる「思いつき集」であることが露呈する。たしかにうまく構成しているとは思うが、それぞれの項目の相互の連関は極めて薄い。実に巧みなたとえ話を交えた解説が展開されるが、結局読者は「共感する」だけで終わらざるをえない。それぞれに天賦の才を感じるひらめきがちりばめられているが、それを1つの論理にまとめ上げる腕力に決定的に欠けている。

ただ、現代の言語学の一部が時枝の目指した方向に進んでいるのは間違いない。それどころか、いまだに時枝と同じスタンスでソシュールを批判する者も少なくない。ただ、ソシュールの切り捨てたものにこだわることは、ソシュールが残したものを批判することとイコールではない。ソシュールは「常識」であり、それをいくら批判しても自己正当化の域は出ないからだ。それとソシュールは無関係なのである。ソシュールを前提に時枝的なものを上乗せすることに何の問題もないはずだ。

時枝が言語学者ではなく哲学者である前提で読めば本書から得るものは多いが、言語学の書として読んでも何も得るものはない。ちなみに、巻末の解説は哲学者の前田英樹氏がお書きになっている。良心的で大人の解説だ。また、索引が充実している点は評価したい。
時枝国語学の発展 ★★★★★
 正篇に続いて待望の続篇の岩波文庫の収録となった。
 本書では独自の「言語過程説」を復習、再確認し、さらなるテーマを展開していく。
 その言語過程説の本質的方向性からすると、当然課題となってくるコミュニケーションや社会、言語の機能や言語史の取扱い方などが議論されている。体系的な国語学の設計図、全体像を指向したものである。橋本文法などとは一線を画したものだが、今読んでも言語学のテキストとして使用されるに十分な内容を誇る。
 むしろ、西洋近代科学を無批判に受容していない点などは、現在においてこそ見直すべき価値がある。