そしてその問題は単に「左翼」や「右翼」というもので
考えるべきではない。
そういう思想とは別に、戦争で命を失った人たちの事を
考え、自分達がこれから、戦争を起きない 平和な世界に
しなくてはならないのかも考えなくてはならない。
お国のための死とは何か?と問うている本書に答えてやらう
ただの犬死にである。
犬死というより、国家に死を強要されただけの事。
体裁のいい殺人である。
殺人に意味などない。
故に、お国のための死という質問自体が意味をなさない。
そしてその問題は単に「左の論理」や「右の論理」というもので
判断し、切り捨てられるものではなくて、あの戦争で奪われた多
くの尊い命を今の私たちがどう総括し、これからの世に生かすの
かという非常に重要なテーマを含んでいる。
”お国のための死”とは何だったのか、と本書では随所で問うて
いる。戦後、政府は靖国と共同して合祀活動を進めてきた。
そしてそれは”強制的”と言わざるを得なく、遺族側の意思が汲
まれることはなかった。合祀は当たり前の論理を一貫してきた政
府や靖国を多くの市民による訴訟を紹介しつつ批判している。
まさに戦後の歩み方を問うているのだ。