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日の丸・君が代の戦後史 (岩波新書)

価格: ¥861
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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もっと深く ★★★★★
日の丸、君が代の議論は、底が浅い。
なぜ、こんなに底が浅いのだろう。
第二次大戦前に決めたことと、
敗戦後に決めたことの連続性を求めたいのだろうか。
あるいは、全否定したいのだろうか。

もっと、文化、音楽、芸術の視点から、大きな取り組みが必要なのではないだろうか。
最近、祭日に日の丸を掲げる家が少ない。

その背景をもっと見ないと、日本が崩壊していくような気がする。
少なくとも、100年単位の議論が必要なのではないか。
コンパクトな通史 ★★★★☆
 知っているようで知らない日の丸・君が代の戦後史をコンパクトに書いている。日の丸・君が代の下に敗戦を味わった日本人は、1950年くらいまではこの旗と歌に冷淡な姿勢をとりつづけていたという。そこから1999年に国旗国歌法が施行されるまで、政府が日の丸・君が代の定着をどのように図っていったかがわかりやすく描かれる。99年2月に起きた広島の県立高校長の自殺が、法制化への大きなバネとして使われたこともよくわかる。

 本の後半部分は教育現場をめぐる動きにほぼ絞られているのだが、もう少し分析に広がりがあれば、日の丸・君が代の変容をさらに重層的に描くことができたかもしれない。たとえば、筆者が少しだけ書いているスポーツイベントやテレビの役割だ。東京五輪が日の丸・君が代のイメージを「リニューアル」する機会だったという議論に、筆者は触れている。だとしたら、そこからさらに巨大化し、テレビを味方につけた国際的なスポーツイベントは、この旗と歌のイメージをいっそう変える力をもっていただろう。2002年サッカー・ワールドカップでの日の丸・君が代は、東京五輪のときとは明らかに別ものだった。

 政府が意図した変容だけではとらえきれない部分もあるはずだ。しかし、そのあたりのことは、また別の本のテーマなのかもしれない。
思想本としては合格であるが・・・・ ★★★☆☆
この本をもってして日の丸君が代の是非について考えようとしている方
は購入を差し控えたほうが良い。この本を買うべきなのは、過去日の丸
君が代にただひたすら反対し、「弾圧」を受けた人々が回顧する目的に
おいてのみである。
この本はまず、日の丸君が代反対ありきで、理性
的、建設的な内容とはとてもいえない。内容が「戦後いかに日の丸君が

代が不合理に国旗国家の地位を占めてきたのか」を主眼とし、なぜ反対
なのかというのがおざなりとなっており、反対派で抵抗している人間を
指して「希望」という表現を使うなど、まさに反対派の自己満足のため
の本といえよう。

シンボルの裏の政治 ★★★★☆
 戦争責任問題に詳しい1941年生まれの元朝日新聞社記者の手になる本。日の丸・君が代に関する戦後日本の流れを具体的に記述する。戦後日本政府の政策とそれへの抵抗運動が記述の中心を占め、占領期沖縄を除けば、日の丸・君が代にアイデンティティを感じる人々の感情はあまり触れられていない。その点では日の丸・君が代への批判を前提として書かれた本であると言えるわけだが、その分内心の自由の問題が前面に出ているといえる。他国の反応についても記述は少ない。
 そもそも1999年以前、日の丸・君が代に法的な裏づけはなく、現在でもそれらの尊重義務はない(法制化の際、却下された)。それにもかかわらず、国民全員に押し付けるのが無理と見た政府は、教員と生徒という「弱い輪」に付け込み、そこに法ではなく通達の形で(指導要領の法的拘束力もどこまであるか疑問)、事実上の尊重義務を課した。したがって、本書でも大半の記述は教育現場の問題である。現在、この結果として学校での国旗掲揚・国歌斉唱はほぼ100%に近いが、果たしてそれで教育問題は解決したのだろうか。オリンピックのような国際的な場での礼儀の問題にしても、会場に向かうバスの中ででも注意した方がよほど意味があり、むしろ具体的にフーリガン対策の方が優先されるべきだと考える。
 戦後日本において、日の丸・君が代が現実に国家統制の道具として利用されてしまった記録であり、法律によって人間の内心がどれだけ縛れるかについて考えさせられる本である。