ジエジェクの主著。マルクスを超えたハイデガー主義ラカン派
★★★★★
マルクスが疎外論で提出しながら、ヘゲモニー論、階級解放論の中で無化してしまった主体の問題を、ジジェクが徹底的に切りまくる。心なしか、いつものような「ハリウッド引用」は控えられているように思われる。
彼の主著の名に値する重要書物になるであろう。後世に影響与えることは間違いない。「Empire」=<帝国>ネグリ、ハート著に幻滅した人は、この本を読んで溜飲を下げれることであろう。
彼はヘーゲルに遡行して、存在論を極めんとする。当然ながらハイデガーも援用される、「世界の闇夜」と呼ばれる、存在論以前の世界=神なるものとも言い換えれる宇宙観の空隙、それをフロイトは「死の衝動」と呼ぶ。
これが主体の本来的原動力であり、自由の根拠ではないか、とジジェクは問いかける。その闇とは別名、狂気でもありシェリングが言ったが如く、理性とは制御された狂気のことでは、ないであろうかとも、問いかける。
途中端折るが、ジジェクはグローバリズムの本体、その残忍性の正体は、見せ掛けの寛容さ、空虚な普遍主義的態度であり、多国籍企業が原地に適応している偽装の下で、下部構造として、原地民を根無し草にしている、と言う。
リベラリズム=多文化主義は、新自由主義=市場の奔流に全てを任せる(無思想)と補完関係にあり、寛容性の見せ掛けの下で、搾取を許容していくのである。難民あるいは出稼ぎ労働者を海外ー第三世界から受け入れ、低賃金階層として主体としての尊厳とともに、経済として剥奪する。
ジジェクは自身の直接原体験とした東欧の民主化過程に期待を託す。チェコのバヴェル首班とした「市民フォーラム」、東ドイツの弾圧非難、スロヴェニアの人権要求に、期待を尚宿し続ける。
現実政治として、西欧の俗化に屈しているように見えながら、彼はなお諦めていない。…新自由主義、リベラリズムに対抗出来うる第三局を模索する。…社会民主主義は、残念ながら、(姜尚中の期待に反して)、選択肢に入っていない。