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信じるということ (Thinking in action)

価格: ¥2,100
カテゴリ: 単行本
ブランド: 産業図書
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たとえば、電脳現象下における〈脱中心化した主体〉がなお主体的に何かを選択するというと ★★★★☆
この本は期待を裏切らずに、いつもどおりのジジェク節満開ですが、それでは芸がないのであえてジジェクの言葉遣いをせずに以下のように筋書きを書いてみました:
“主体”というとき、我々は積極的な何かの様相を語っているのではなくて、「言い当てることのできないもの」に内側から衝き動かされ、あれやこれやに執着し、手に入れば満たされず放り出すことを繰り返し、死に絶えることができないというだけで生き永らえている有様を呼び指そうとしているだけではないか。
 その「言い当てることのできないもの」は、声を持たない亡霊が口をぱくぱくさせて何かを伝えようとして見せるかのように我々の語り出しを誘うが、我々はそれを言い当てることができないまま、とめどなく剰語するばかりだ。
 いっそ、語り出すことはせず、我々の裡で蠢く「言い当てることのできないもの」がいつしか外に作り上げていた規範(=〈法〉)に従うことだけをして生きてゆくことに決めてもいい。〈法〉のあるものには沈黙を守って生きよとあるだろう。しかしそういう生き方を“主体的に”決めたというのはおかしな言い方だ。そのとき我々は相変わらず他に引きずられているではないか。
 では「言い当てることのできないもの」の蠢きを停止させてみるというアイディアはどうだろう。「言い当てることのできないもの」などないのだと、今までの執着する私をリセットする。リセットボタンを押す指が本当に私だけの指であるのかどうかはわからないが、また、どうせ同じゲームがはじまるのだろうが、ともかくボタンがあることに気づかされる。キリストとはそんなリセットボタンの或るものの謂である。
:誤読しているかもしれません。諸賢には、どうぞご鞭撻いただけますと大変幸甚です。