スリリングな日本語論
★★★★★
日本語の教師をしていて、何時までも自信が持てないのは、助詞の「は」と「が」の使い分けを生徒に上手く説明できないからである。頻繁に出てくる日本語の最も大切な助詞で実際の生徒はよく「は」と「が」の使い方をあやまり、それを明快の指導できないのである日本語文法を明快に知りたいという欲求は、日本語を外国人の教えて初めて実感するのではないかと思う。
著者の浅利誠さんはフランス国立東洋言語文化大学助教授で、哲学・日本現代思想がご専門と巻末の紹介にあるが、長年フランス人に日本語を教えてこられ、その経験とその過程での日本語文法の研究がこの本となって見事な実を結んだ。
基本に三上章を据え、本居宣長から現代の文法学者に至るまでを批判的に摂取しながら、まず、格助詞の問題から入り、「は」の問題へと広がっていく。読んでいくうちに、著者の問題意識が浮き彫りとなってそして次第に格助詞や係助詞の理解が深まっていく>後半は、和辻哲郎を初めと思想家と日本語とのかかわり見ながら、日本語の理解を深めていく、皆深く読み込んであって、素人の私には、そうだったのか、と思うほかないのだが、これも説得力がある。
ハイデッガーと和辻哲郎との関係にメスが入り、一時は哲学論議にけと路線が変わるかと思っているうちに、やがて論は繋辞(カプラ)へ、日本文法の「は」の問題にいたる。
ちょっと雑駁な紹介だが、三上章、寺村秀夫と日本語文法を追ってきた者には、大変スリリングな論考で、読み出したら止まらなかった。
スリリングな日本語論
★★★★★
日本語の教師をしていて、何時までも自信が持てないのは、助詞の「は」と「が」の使い分けを生徒に上手く説明できないからである。頻繁に出てくる日本語の最も大切な助詞で実際の生徒はよく「は」と「が」の使い方をあやまり、それを明快の指導できないのである日本語文法を明快に知りたいという欲求は、日本語を外国人の教えて初めて実感するのではないかと思う。
著者の浅利誠さんはフランス国立東洋言語文化大学助教授で、哲学・日本現代思想がご専門と巻末の紹介にあるが、長年フランス人に日本語を教えてこられ、その経験とその過程での日本語文法の研究がこの本となって見事な実を結んだ。
基本に三上章を据え、本居宣長から現代の文法学者に至るまでを批判的に摂取しながら、まず、格助詞の問題から入り、「は」の問題へと広がっていく。読んでいくうちに、著者の問題意識が浮き彫りとなってそして次第に格助詞や係助詞の理解が深まっていく>後半は、和辻哲郎を初めと思想家と日本語とのかかわり見ながら、日本語の理解を深めていく、皆深く読み込んであって、素人の私には、そうだったのか、と思うほかないのだが、これも説得力がある。
ハイデッガーと和辻哲郎との関係にメスが入り、一時は哲学論議にけと路線が変わるかと思っているうちに、やがて論は繋辞(カプラ)へ、日本文法の「は」の問題にいたる。
ちょっと雑駁な紹介だが、三上章、寺村秀夫と日本語文法を追ってきた者には、大変スリリングな論考で、読み出したら止まらなかった。