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何のために生きるのか

価格: ¥1,500
カテゴリ: ハードカバー
ブランド: 致知出版社
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:稲盛和夫/著 五木寛之/著 出版社名:致知出版社 発行年月:2005年11月 関連キーワード:ナンノ タメ ニ イキル ノカ なんの ため に いきる のか、 チチシユツパンシヤ 4746 ちちしゆつぱんしや 4746、 チチシユツパンシヤ 4746 ちちしゆつぱんしや 4746 共に昭和七年生まれ。十三歳で敗戦。その後、様々な精神的遍歴を踏み越えて一人は作家、一人は実業家に。その二人が長い歳月を経て、ここに出会い“魂の友”として縦横に語り合った「人は何のために生きるのか」。 第1章 同時代を歩んだソウルメイトとして第2章 こころが乾いてしまった日本人第3章 いま、宗教の力を問い直すとき第4章 新しい浄土の物語をつくる第5章 人生の転機から見えてきた「生き方」第6章 ポジティブとネガティブの出合う場所第7章 他力の風を受けて生きる
格別な対談。 ★★★★★
戦後の名経営者である稲盛さんとどちらかというと反体制的な作家の五木寛之さんの対談は想像しただけでワクワクしましたし、どんな話になるのだろうと興味深々でした。そうしたところ、何とお二人は同い年であったのですね。そのせいか大変奥深く、ある意味ラジカルな対談で読み応えは十分でした。太平洋戦争後の少年時代の経験や仏教の世界に関心を深めてゆくことなど、お互いを語り合ったり尋ねたりすることによって一人で話を進めるよりも立体的に感じてゆくことが出来ました。お二人とも、実はスピリチュアルな話というのは相当な覚悟で語っておられるということがわかりました。実学、科学の分野でお仕事をされていた稲盛さん、そういう一線を越えたら終わりだよ、と作家の先輩から言われていた五木さん。あえてお二人は、スピリチュアルというものを世の中に換気するために社会的生命が絶たれるかもしれないという状況下で論じておられるのですね。頭を垂れるばかりです。
午後の紅茶 ★★★★★
この本を読んでいる間ずっと素敵な気持ちになることが出来ました。常に感謝する気持ちを持つこと。それを忘れないようにと思わせてくれます。この本に出合えて良かった。ありがとう。
何のために生きるのか。 ★★★★☆
 滅多に手にしないジャンルの本をあえて手にしたのには二つの理由がある。一つには、私たちの近著とどのようなシンクロがあるかを確かめたかったこと。いま一つは、どう違うのかを把握しておきたかったこと、の二点である。
 いくつかその結果を挙げてみると、

●五木氏、稲盛氏が、仏教を拠り所に“情(こころ)”と呼んでいるものを、私たちの共著では、近藤氏は“スピリチュアリティ”と呼び、私は“知性”と呼んでいるが、根底に在るスタンスは一致していた(無論、本書で否定される頭でっかちなインテリジェンスと、私の考える“知性”の全く異なることは、著作を読んでいただければ分かるであろう)。

●五木氏が「現代日本には歌がない」と述べている点は、音楽業界の片隅にもいる私としては、納得のいく部分と、複雑な感情との両方を抱いた。

●本書が、同じ年代生まれの対談形式になってる内容については、逆に私たちの共著が約半世紀の年齢差のある二人が書き対話している点、赴きと視点が違って、遠慮がなく面白いかもしれない。とりわけ、どうしても現代人の情操面での枯渇が、テレビゲームの罪に帰されている点は、テレビゲーム世代で育った私としては、若干結論と断罪への飛躍を感じてしまったが、そこもまた世代間の意見があってしかるべきであるし、私の意見は共著にしっかり盛り込んだつもりだ。

●本書における“利他”の思想、および慈しみの精神が、私たちの近著において私のパートで述べた、自己愛とどう違い、どう絡むのか(私としては、ほぼ同じ意味と考えているが)、これは私自身が深堀していきたい。

 さて、『何のために生きるのか』を読んだ。次は、近藤氏との共著『何のために生き、死ぬの?-意味を探る旅』(地湧社)が、いよいよ週明け半ばから書店に並びだす。この二冊が、個人的には合わせ鏡のように感じられてならないのは、著者故の思い入れのみには非ず、である。
調和的というか、妥協的というか ★★★☆☆
対談ということで、相手にご自身のことを伝えることから、
どのような背景があり、どのような想いを持ってこれまでの書籍を執筆されたのか
ということを知れたのは興味深かった。

残念な点を二つ。

一、若かりし昔を懐かしむ年配者の戯言に聞こえたこと。
失われてしまった嘗ての日本の良さというのは、なんとなく伝わる。
歌をはじめとする嘗ての文化の中に、復興すべき要素があることも分かるのだが、
時代は変わったのだということを申し上げたい。
浄土という「物語」では今はウケないから、
元気という独自の「物語」構築に注力してみた、という五木氏の考えは正しいと思うので、
歌などの文化方面でもそのスタンスを取られることを望む。
特に稲盛氏の、昔は良くて今はダメという歌に関する認識は聞きたくもないものである。

一、もっと根幹の意見の相違点をぶつけてほしかった
稲盛氏はソウルメイトなどと述べているが、
実は人生に対する根幹的な考え方はかなり相違している。
ポジティブかネガティブかという点において、その違いを語ってはおられるが、
五木氏はもっと突き詰めた考えを披瀝せずにいるように思う。
「利他に徹すれば他力の風は必ず吹くのだよ」という稲盛氏に対し、
「いや必ず風が吹くとは限らないから他力であるし、利他に徹することができないから結局は他力なのだ」
というのが、他の著書から見る五木氏の想いであろうと思う。
その点に関して、とことん意見をぶつけてほしかった。
味読すべき対話 ★★★★★
 ここでは評価が二つに割れているようだが、私はいい本だと思う。それほど「高遠」な思想が説かれているわけではないが、二人の人生経験から割り出された生きた智慧ともいうべきものが全体に溢れていて、好感が持てる。

 「ソウルメイト」はちょっと行き過ぎた表現のような気がするが、初対面とは思えないほど非常に息のあった対談。稲盛のほうがやや「ポジティブ」、五木のほうがやや「ネガティブ」というウェイトの差が感じられるが、結局目指しているところは同じだと思う。二人とも宗教的感受性ともいうべきものを持っている。

 二人の人生の上の転機が書かれているのが非常によい。これは編集者の引いたレールなのだと思う。生まれつきの天才だけの人の人生は天才でないものには参考にならないが、躓き、躓きしながら人生を築いてきた人の人生には凡人にも学ぶものが多い。従って人生の転機がどのようにその人の人生観を形成したかが重要なのである。

 特に五木の朝鮮での引き揚げ体験がその生き方、考え方に大きく影響しているのは注目される。

「そう考えると、そのなかから生きて帰ってこられた私たちはほんとにラッキーだったと思います。
 ですから、なにか辛い出来事があるたびに、そこへ意識が戻っていくんですね。あの難民キャンプのテントの中で、体をエビのように丸くして寝ていたというそのときに、すっとタイムスリップできるんです。
(中略)ほんとに一瞬で戻るのです、あの十二、三歳の少年のころにね。そういうどん底の原点に、五十年たっても六十年たってもすぐに戻れることがいちばんの財産だと思いますね。」

何度も読み返して味読するに値する対談だと思う。