普通のドイツ人の苦悩
★★★★☆
三部作「あのころはフリードリヒがいた」「ぼくたちもそこにいた」「若い兵士のとき」の完結編です。
「ぼく」が17歳で志願して、20歳で敗戦を迎えるまでを描いています。
岩波少年文庫という分類ですが、この三部作は内容的に大人も十分読み応えがあります。
元々、中学生の息子が「あのころはフリードリヒがいた」の一部分を国語の教科書で読んで、興味を持ったことがきっかけで、
「あのころはフリードリヒがいた」を息子のために買いました。息子との話題に、と読み出したところ、結局、私の方が夢中になってしまい、「ぼくたちもそこにいた」「若い兵士のとき」も買って、いっきに読みました。
著者自身は、この三部作を大人向けとか子供向けとか意識せずに書いたそうです。特に「若い兵士のとき」は、登場人物の年齢からして、性の話も出てきますから、高校生以上でないと、理解しがたい部分もあります。
第2次大戦のドイツというと、私が今まで映画などで観てきたものは、戦勝国側が描いたナチス・ドイツとかユダヤ人の苦しみが多く、ドイツは「悪」の一言で一刀両断されていました。しかし、この三部作で、当時の普通のユダヤ人の苦しみだけでなく、普通のドイツ人の苦しみもよく分かりました。
同時に、ドイツ人の戦争体験は、私が父母から聞く第2次大戦の日本人の戦争体験と似通った点も多くありました。
戦争というものは軍部が勝手に暴走しているというより、好むと好まざるとに関わらず皆が参加しているのだという事実。
「若い兵士のとき」は、戦場の日常を描いています。戦場では、良いも悪いも理屈抜きで、生きるために必死になるしかないという現実。悲しいなりに、ちょっぴりユーモアがある場面もありますが。著者自身、書くことそのものが苦しいことであったと思われます。「それでも、後世にこの事実を残さねばならない」と思った著者の意気込みが伝わってきます。
痛ましい記録であり、戦争への告発の書です
★★★★☆
17歳で入隊してから20歳で敗戦を迎えるまで,筆者がドイツの若い士官として実際に体験した,第2次大戦の生々しいエピソードが書きつづられている。
『あのころはフリードリヒがいた』『ぼくたちもそこにいた』に続いて書かれた作品。作者はこの作品を小説仕立てにすることができなかった。*印で各章が区切られているだけでエピソードがドイツの配線まで綴られてゆく。それだけ生々しい記憶の中で書かれたのであろう。悲惨な現実や愚劣な軍隊組織の中で少年の信じたドイツの大義は崩れ去り、自分自身も負傷し、片腕を失いながらも、将校として現実に飲み込まれ,敗戦の中で堕落してゆく。
本人の悩みには筆が向かわず、淡々と日常の悲惨な出来事が語られる。こうしか生きられなかった。しかしこれは書き残さなければならないという筆者の意志がこの書を書かせたのだと思う。筆者はこの本を最後に筆を折ったと聞く。痛ましい書である。