みんな昭和天皇に敗れ去った!!
★★★★☆
著者のライフ・ワークとも言うべき”北一輝”の評伝については、まだその第一巻までしか読んでいません。しかし、この作品は、新書と言う性格上、かなり読みやすくなっています。現代の読者を対象としているせいでしょうか、過去の引用も、必ず現代語の要約でフォローされているほどです。この作品はある意味では、著者が、”評伝という枠組みにおいては言及することができなかった”と断わっているように、大胆な著者の推論(ファンタジー?)がベースとなっています。しかしタイトルとは異なり、半分以上のスペースがが、やはり三島ではなく、北一輝と昭和天皇の闘争にさかれております。昭和天皇を、政治的意思を持つことのない国家支配の一機関と考えた北一輝が、2・26事件という”決断状況”の、下で、歴史のパラドクスに驚き敗れ去るというのが著者の結論です。そして、その後、昭和天皇の演じたこのパラドクスとしての役割とその悲劇性に、三島自身が”英霊の声”への完成のプロセスで、たどり着くというわけです。このパラドクスの帰結としての象徴天皇制の下で、自らの”文化概念”を喪失し、非政治的な”政治的”な役割を演じ続ける(続けざるを得ない!)昭和天皇の行動の軌跡の延長線上に、おそらく現れるざるを得ない、その後の日本の絶望的な袋小路が、三島には見えていたのかもしれません。となれば、何らかの歴史的な異議申し立てが、三島にとっては、必要だったのでしょう。そして、やっと私たち凡人にも、その異議申し立ての持った歴史的な必然性が理解できるようになってきたのかもしれません。