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ポケットは80年代がいっぱい

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: バジリコ
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書棚に何冊かある香山の著作は明日にでもゴミ箱に叩き込む ★☆☆☆☆
 関わっていた雑誌の編集室が使えなくなり、香山が親に買ってもらった三軒茶屋のマンションに白羽の矢が立つ件りがある。ところがこのマンションの管理人が元警察官とやらで、香山の部屋への人の出入りに敏感なため、編集室に「今度だけ」使わせることは了承しつつも、とにかく人の出入りを見られないようにという配慮で頭がいっぱいだったという。そこまでは良い。しかし香山は続けて次のように書く。「『自殺未遂ライブ』でドクターストップを下したり病院からCT画像を盗み出したりするのは平気なのに、自宅で『HEAVEN』の編集作業をするのは恐怖、というのも矛盾して聞こえるかもしれないが、そうだったのだから仕方ない」(p147)。
 一体どこが矛盾なのか? 親バレが一番の恐怖と考えれば実に自然な、実に保身的で自己中心的で甘ったれで虫のいいありきたりな心理ではないだろうか?
 大阪から新幹線をキセルして上京する友人を入場券に細工して助けたり(p143)、上の引用のように雑誌企画のために実習先の病院から肺がん患者のレントゲン写真と血液検査を盗み出したり(p144)、いろいろ自慢気に回顧していて、私などは「やったという事実」よりも「書いている事実」に苛立つ。「もし今でも時効が成立していなければたいへんなことになるが」(p145)などと筆を滑らすに至っては、いや、時効云々の問題じゃないでしょとツッ込む以前の問題として、香山の感性の鈍さに呆れるばかりだ。こういう人間に精神科医はやってほしくないし(やめて大学教授になったが……)、護憲とかナショナリズムがドーコーと言われたくない。
 松岡正剛の「転向」に義憤を感じたと言いながら、その末尾を「純粋というより、いつまでもおとなになりきれない、ということなのだろう」(p122)と括る香山は、93年春に精神科医としての拠点を小樽から埼玉に移し、99年春に神戸芸術工科大助教授、03年春に帝塚山学院大教授、そして本書刊行直後の08年春に立教大教授と、華麗なる転身を遂げる。厚労省「若者の人間力を高める国民会議」、文科省「子どもを守り育てるための有識者会議」、「中央教育審議会スポーツ青少年部会」、「教育相談に関する調査研究協力者会議」の委員でもあるらしいが、立教大も厚労省も文科省も、もう少し考えたほうが良いのではないか?
東京はとてもまぶしかった。 ★★★★★
東京はとてもまぶしかった。そしてあらゆる可能性を秘めていた。まだインターネットもなかった時代、地方都市の人間には書店で手にする雑誌だけが中央の情報を教えてくれた。それらの雑誌をむさぼるように読んだ若かった自分。その時代の東京と、それに憧れていた自分を思い出させてくれた1冊。何度も読み返したい。
「その時代の空気」が垣間見れる ★★★★★
 1960年生まれの著者が、東京で過ごした1980年代を振返る。学生をしながら取り組んでいた編集作業及び周囲の人々についての懐旧の思いが行間から滲み出てくる。なかなか分からない「その時代の空気」の証言として貴重な書だと思う。
 あとがきで著者は80年代をプラザ合意前後で分け、バブルを享受したプラザ合意後の環境と著者のいたプラザ合意前とを分けている。著者と丁度10年離れている自分自身もその区別に共感。
 私は中高大学前半がほぼ80年代になるが、80年代前半までが広範な範囲の知識欲を若者(どこまでが若者かは分からないが)が持ちえた時代ではなかろうかと思う。現在雑誌休刊が相次いでいるが、日本の雑誌購読層は30代後半以上が大半と聞く。80年代後半から、知識への欲求の断絶が起こっているのかも知れない。
いささか雰囲気が違う ★★★☆☆
これまでの彼女の文章を念頭においていると、本書はいささか雰囲気が違う。

本書は3部に分かれていて、最初は彼女が20代を生きた80年代を振り返ったエッセイ。
この部分が本書のメインだが、リカちゃんの文章にしては随分とエモーショナルというか感傷的というか。
抑制されてはいるもののそうしたウェットさがにじみ出てくる。
次にニューアカデミズムの旗手(なんてほとんど死語だな)、中沢新一氏との対談。
80年代を語るには外せないこのオカタとリカちゃんのセッションはなかなかのもの。
そして最後に「長めのあとがき」。
ここで本書では初めてリカちゃんらしいロジカルさと明快さ溢れる文章と出会える。
他の「80年代論」をバッサリ。

リカちゃんは1985年のプラザ合意を分水嶺として、その前と後とでは一口に80年代といっても様相/時代感が異なる、というようなことを書いていて回想は主に「プレプラザ」に力点が置かれている。
一方、4歳下の僕なんかが80年代を振り返る時に軸足を置くのは「ポストプラザ」の方で、80年代を語るコンテクストもこのどちらに焦点を合わせるかでその色合いはかなり違うようだ。
でもこのプレとポストが間違いなく連続していることもアタリマエのハナシで、色合いは違っても80年代はやはり懐かしい。
その時代に多感な時期を送った世代にとっては。
試金石。 ★★★☆☆
小谷野敦氏のブログに取り上げられていたので読んでみました。

年代が違うので、内容には特に共感も感じなかったのですが、
香山氏の当時の忙しさだけは読み取ることができました。

ただ、あの人の80年代と自分の80年代が信じられなく違っていて、
それはお互いの暮らしぶりが違っていたからかも、なんて話に、
精神科医らしくない粗雑さを感じたのは私だけでしょうか。

巻末の対談は、「80年代の先端性からゆり戻しがあって、
未だにそこまで戻りきれていない、これじゃいかん!」、
というような事が書いてあったように読めたのですが、
皆がそんなに粗雑にやり散らかしたからこそ、
誰も受け継ごうと思えないものしか、作れていなかったのではないか、と思いました。
印刷物になれば何かを作ったことになる、というのはある意味本当だけど、
それが残すべきものであるのかどうかという判断は、後世の人の専決事項ですよね。

結論として、これは香山リカマニアであるかどうかの試金石となる商品だと思いました。