冷戦史の隠微な側面を記す大作
★★★★★
本書上巻では、ナチス・ドイツの侵攻により大打撃を受けたソ聯が、原子爆弾の開発を決意し、物理学者イーゴリー・クルチャトフの指揮のもと黒鉛原子炉を建設するに至るまでの経緯と、第二次世界大戦終了後に時を経ずして米ソの利害対立が表面化し、ベルリン封鎖に至るまでの時期が描かれている。
> ソ聯の原子爆弾開発においては、諜報活動により米英から収集された先進技術情報が、開発の方向性の確認や開発行程の時間短縮に大きく寄与したことが知られているが、本書では、クラウス・フックスをはじめとする、米国の原子爆弾開発計画に関わっていた物理学者・技術者の一部の人物が、いかにして、いかなる理由で機密情報をソ聯へ手渡していたのかが、詳しく記されており、本書の大きな特徴となっている。私は情報戦について「スパイ映画」程度の知見しか持ち合わせていなかったため、情報漏えいの動機というものは、経済的な理由(情報を売り渡して利益を得る)か、あるいはソ聯のイデオロギーへの信奉に由来する使命感か、と考えて読み進み始めたのだが、社会が冷淡であったことへの反発心が情報漏えいのきっかけだったり、東部戦線で敢闘していたソ聯を疎外して、秘かに米英が原子爆弾の開発を進めていることへの「義憤」(本書によれば、ソ聯の諜者からエンジニアに義憤を促すこともあったようである)を感じて行動を起こしたりと、当の本人にとってはそれ相応の動機があったのだという本書の記述を興味深く読んだ(とはいえ、とても彼らに対し共感を持つことは出来なかったが)。
> また本書では、核物理学や原子爆弾の起爆装置に関わる技術的な記述が多い。中性子の捕獲断面積、爆縮、臨界量、等々著者が専門用語を遠慮会釈なく読者に放り投げてくるのには、まったく閉口させられたが、訳文が丁寧なこともあって、本書には専門書臭は感じられず、冷戦期に興味のある読書子を退屈させることはないだろう。