こういう悲惨な体験に基づく感情はそれ自体たいへん貴重なものであるし、国際紛争の解決の手段として戦争を選択しないという考えは、基本的に賢明な態度だと思う。しかし、この戦争末期の悲惨な体験、あるいは占領地における数々の犯罪行為に対する反省は、ある意味でトラウマとなってしまい、戦争について合理的に考えること自体を否定する風潮が強かったのではないだろうか。
米軍は、主要都市や基地、軍需工場に対する爆撃成果を後日確認するために、克明な偵察写真を撮っていた。本書は主としてそれらの写真(爆撃中の写真も多い)と、米軍の戦略爆撃についての解説等から構成されている。自然現象として、どうにもならないものとして日本は戦争を始め、また敗れたのではなく、戦争前にも戦中にもそれぞれの陣営でさまざまな考えがあり、あるいは予期せぬ出来事の積み重ねの中で、1945年をむかえたのである。米軍の対日戦略も初めからはっきり決まっていたわけではないことが、本書の解説でもふれられている。
戦争の事実を詳細に知ることは、合理的に戦争や軍事行動を検討する基盤をつくるために必要なことだと思う。その一つとして、比較的入手しやすく、また例えば自分のいま住んでいるところが焼かれたかどうかまではっきり分かるという意味でも身近に感じることのできる、この写真集を推薦したい(ちなみに評者のいま住んでいるところや、父母が当時住んでいたところは焼失区域に入っている)。