無政府状態の中での「秩序」とは何か
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本書は、60年代から70年代にかけて活躍した「英国学派」の中心的人物であるH・ブルの代表作である。
本書の目的は3つある。1つ目の目的は、「主権国家から成る社会」が成立することによって、アナーキー状態の国際政治においても一定の「秩序」が存在すると指摘することである。2つ目の目的は、その「秩序」を維持する「制度」的要因を明らかにすることである。3つ目の目的は、主権国家システムの意義とその代替案を検討することである。
同書の中で尤も興味深いのは、2つ目の目的である「制度」に関する議論だろう。ブルは「制度」として次の5つを挙げる。それらは勢力均衡、国際法、外交、戦争、大国である。彼は、秩序を維持するための戦争であればそれを肯定し、大国間協調が秩序を維持するために重要な役割を果すと考えられるなら、その支配を受け入れるという「現実主義」的側面を示す。一方で、国際法のような「リベラル」的側面が秩序を維持する手段と成り得るなら、それもまた肯定する。「秩序」に対する制度が果す役割を明らかにするためにブルは、国際政治理論の二元論的な枠組みから脱却したといえよう。
しかしながら、若干ではあるが批判しなければならない点がある。多くの人々が、「経済的側面に対するブルの軽視」を批判してくれているため、ここでは「『理論』的側面」について述べる。
批判の対象はブルの「理論」の曖昧さである。ここではその曖昧さについて、さらに1つに限定して指摘する。
ブルによれば、共通利益と共通価値を自覚した国家の集団が、共通の規則体系に拘束され、共通の諸制度を機能させている状態において、「国際社会」が存在するという。「システム」は、国家間が相互に十分な接触を持ち、国家の決定にお互いが影響を与える状態において、存在する。
「社会」と「システム」の相違は「程度」にある。「システム」は「社会」の前段階の状態であり、「システム」上の国家間関係が、ある契機を伴うことによって「社会」に発展する。
しかし、ブルはその契機を「明確に」示さない。
「システム」と「社会」の存在を指摘し、その相違を示すことは極めて重要である。しかし同時に重要なことは、「何時、システムは社会に変容するのか」「何時、社会はシステムに戻ってしまうのか」ではないだろうか。
なお、最後に余談だが、本書の表表紙を1枚めくったブック・カバーの上の方に、「E・H・カーの流れをくむ『英国学派』のブルの主著…」とあるが、これを観た瞬間に苦笑してしまった。なぜなら、ブルだけに留まらず、ワイトやジェームズといった同時代の「英国学派」の人物達は、カーの国際政治観を明確に否定しているからである。ブルが受け継いだのはワイトとマニングの国際政治観である。そして本書自体は、マニングの国際社会論の発展版ともいうべきものである。おそらくT・ダンの研究を受けてのことだと思われるが、それにしてもであろう。ダン自身の研究に対する評価や、彼の慎重なカーに対する言い回しにも、もっと注意を払うべきだと思う。このことは、日本における「英国学派の受容」のレヴェルを如実に示すものだろう。
余談が長くなったが、だからといって訳書の価値を損なうものではないことは、もちろんいうまでもない。本書は、疑いもなく70年代を代表する書籍であり、そしてまた疑いもなく、30年過ぎた現在においても十分必読に値する書籍である。本書が翻訳されたことは、心から喜ばしいことであるといえよう。
世界秩序をテーマとして主権国家システムを論じた本
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本書は、世界政治に秩序は存在するかという問いにはじまり、主権国家システムにおいて勢力均衡、国際法、大国の優位などにより一定の秩序が維持されており、それが「主権国家から成る社会」たる国際社会を形成していると述べるものである。今日主権国家システムに取って代わろうとする決定的なものは存在しないとする伝統的な立場をとる。
内容は深いものであった。ブルは問題の単純化や解答の提示を急いでいないため、本書は世界政治の多面的な姿を巧みに描き出していることに成功していると言える。
論証に際しては、歴史的・哲学的なアプローチが取られている。特に、欧州の古典古代から中世を経て近代に至る政治史に多くの例証を求めている。分析は直観的であるが、政治という人間的営みが単純には割り切れないこと、必ずしも合理に徹しているものではないことを踏まえると、このような論理展開がふさわしいのだろう。
スタンリー・ホフマンが序文で指摘しているとおり、国際政治の経済的側面についての分析はほとんど欠如している。本書の最後のほうで「国境横断的な機構が主権国家に取って代わろうとする決定的証拠は無い」と一部言及されているが、私としてもこの点についてはもう1章を設けて詳しく論じてほしかったと思う。
読みづらい
★★☆☆☆
一般教養の教科書として読みましたが、訳が読みづらいです。素人なので専門的な用語等は分からないのですが、それを差し引いても日本語として読みづらいです。ど素人が読むと、文節等のまとまりが掴みにくくて非常に疲れました。外国の文献は原典に当らないといけないのだと痛感させられました。
国際秩序を生み出すものは何か
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E.H.カーの後を継ぐ英国学派の大家の著作。ホフマンが序文で指摘するように国際秩序を鋭く考察するブルが経済面を軽視、または本論で取り上げなかったのは悔やまれる。無論、純粋に国際政治理論として、あるいは変化に富みアナーキーな国際社会システムを考察することに重点を置いている点は明らかだ。よって経済面への不必要な考察は求められるところではない。しかし、アナーキーな国際社会における相互依存とグローバル化の萌芽は70年代後半、80年代の西側資本主義国家を取り巻く明らかな環境の一つで、国際秩序になんらかの影響を及ぼす要素であった。これを取りあげた上での彼の論考を読んでみたい。85年に逝く彼に対する無理な要求かもしれないが。
しかし、それ以外は国際政治の古典派として独特の魅力を提供し続ける英国学派であるブルの考察は非常に思慮深く、示唆に富む。特にここ最近では、アメリカにおける覇権論、覇権安定論、あるいはレジーム論における一連の機能主義的分析が(覇権国、帝国的支配のための)グローバル・ガヴァナンス論を展開しており、こういったアナーキーな国際社会における秩序を論じたのは実のところ英国学派、ブルなのである。なかなかブル以降の英国学派において魅力的で、そして国際政治研究において威光を放つ後継者が見当たらないが、それだけ彼の偉業が大きいとも言える。
特に2章の分析は明確で、そして国際社会を理解するにの多いに役立つだろう。役者の能力もあるだろうが、ブルの文章技法もわかりやすく、これだけでも読み取り学ぶ価値はある。
国際関係論を学ぶ上での必読文献の一つ
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英国学派(English School)の俊英、ヘドリー・ブルの主著で初の邦訳。訳者の丁寧な注が添えられているため、初学者でも平易に読み進められるとともに、国際関係の基礎知識も身に付くというありがたい内容になっている。国際関係を国家より上位の行為主体が存在しないゆえにアナーキーだとする見方に対して、本書では国際関係を国内社会と異なり中央政府がないという意味では無政府状態であっても、けっして無秩序ではなく、一つの「国際社会」を形成しているとの論を展開する。また本書は、歴史的・哲学的側面から国際関係の性質と展望を論じたものであり、これからの国際関係論研究の進展に資するものである。