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ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書 505A)

価格: ¥714
カテゴリ: 新書
ブランド: 集英社
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:C.ダグラス・ラミス/著 出版社名:集英社 シリーズ名:集英社新書 0505 発行年月:2009年08月 関連キーワード:ガンジ- ノ キケン ナ ヘイワ ケンポウアン シユウエイシヤ シンシヨ 505 がんじ- の きけん な へいわ けんぽうあん しゆうえいしや しんしよ 505、 シユウエイシヤ シユウエイシヤ 3041 しゆうえいしや しゆうえいしや 3041、 シユウエイシヤ シユウエイシヤ 3041 しゆうえいしや しゆうえいしや 3041 その膨大な講話の中から、憲法にかかわる部分をまとめた『自由インドのためのガンジー的憲法案』が、六〇年前のインドで刊行されていた。しかし、建国の父とまで謳われた聖人の憲法案は、今日に至るまで黙殺されたままである。それは一体なぜなのか?その謎を解く鍵は、産業資本主義の生産方式とライフスタイル、および国民国家の存立根拠とは相容れない幻の憲法案を、もう一度精査することにある。
「地獄から脱け出る道」を模索する ★★★★★
「(ガンジーは)地獄から脱け出る道を教えようとしたけど、ダメだった。地獄は続くわ」
〜(映画)『ガンジー コレクターズ・エディション [DVD]』より〜

マハトマ・ガンディー著『真の独立への道―ヒンド・スワラージ (岩波文庫)』は素晴らしい本で、
そこには確かに「地獄から脱け出る道」が示されていると思ったのだけど、
「では、なぜその後インドはガンジーが示した道を行かなかったのだろうか?」というのをこの本を読んでからというもの、ずっと考え続けていた。
それがインドだけでなく日本を含めた「今の」世界全体の(地獄からの)救済に関わる壮大な問題だ、と思えたからだ。
そんな最中に見た映画の一節が冒頭のセリフである。
確かにガンジーの示した道を行けば、人類全体の「救済」は可能になる、しかし人類は(かつてのインド国民会議のように)その道を行こうとはしていない。
おそらくそれは人類そのものの「未熟さ」に起因するものだから、今後も世界が「ガンディーの示した道」を選択する可能性は低いままだろう。
そうやって日本は遠からず「戦争のできる普通の国」になってしまうだろうし、その間も世界各地で戦火の絶える日はないにちがいない。
そんなことを考えていたら、これとそっくり同じことが書かれた本を偶然見つけた。それが本書である。
著者のC・ダグラス・ラミス氏は政治学者で、元津田塾大学の教授。インドにも日本にも造詣が深い。
この本には、私が考えていたのと同じことが書かれているだけでなく、その「答え」までもがすでに示されていた。
つまり、まずあなた自身が権力に対する非暴力・非協力を「行動せよ」。
そのような人間がひとり、またひとりと増えるにしたがって、世界は日ごとに「地獄から抜け出せる」のである。
この本の中に書かれていなかったことで私が考えていたことをひとつ、
「おそらくそのためには、ガンジーもまたそうであったような『見えざる世界』に対する信仰が不可欠だろう」。
確かに危険 ★★★★☆
沖縄在住でリベラリストであるダグラス・ラミスの著作で、非暴力活動実践で独立を指導し、勝ち得たガンジーがその後実は政治的には独立後政治的には抹殺されていたことを彼が語った憲法的な言論をまとめ、ガンジーが考えていた憲法を紐解いたものである。国家とは暴力そのものであることをベースにしたリアリスト、ガンジーのアプローチは理想主義というにはあまりにもラディカルで、確かに「危険」である。グローバル主義と言うなのあらたなイデオロギーがまたぞろ生き返る中で、その対極にある彼の考えは今こそ貴重だ。
非暴力の先にあったもの ★★★★★
 タイトルにまず、ぎょっとする。「危険な」とは、確かに本当の意味で、ガンジーが考えていた「極端な」非暴力が遂行されたら、国としての在り方が根本から揺さぶられてしまう。また国民をも不安にさせる要素がある。そういう意味では国家にとっては非常に危険なものになりうる考えなのだ。目の付けどころが面白く、本書は学術論文を基に分かりやすく書きなおしているものなので、論の展開がドキドキするくらい巧い。論はまだその先に専門的なことがあったのではないかと思われる書き方で、補論が用意されている。

 補論では、ガンジーの非暴力、『ヒンド・スワラージ』、「逆さま国家」の考えを今の日本に応用した場合が提案される。だが、このガンジーの非暴力は、我々が普段、地域や職場などで日常行っている、人々が紛争やケンカを避けるやり方で、よく知っているものなのだという。また、我々の市民社会自体が非暴力と考えられる。このことから、佐藤優がよくその著書で語る、本来、国家とは暴力的なものであるという定義を思い出す。

 ガンジーの標榜した非暴力をインド全体で貫いたのなら、独立後に出来上がった憲法も非暴力のはずだ。しかし、出来上がったものは「国家の正当な暴力を独占する」ものだった。彼らは「ガンジーの根本原理を捨て」たのか?ガンジーの思想と憲法の中身にある隔たりは、国家が国民主体なのか、それとも国家が主体かという問いにも行き着く。そうして国民を「説得しきれなかった」ガンジーは自らの死を予感し(もしくは願った通り)、棘の道を進み続け、暗殺されてしまう・・・。