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ビギナーズ 日本の思想 道元「典座教訓」 禅の食事と心 (角川ソフィア文庫)

価格: ¥620
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川学芸出版
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:道元/〔著〕 藤井宗哲/訳・解説 出版社名:角川学芸出版 発売所名:角川グループパブリッシング(発売) シリーズ名:角川ソフィア文庫 SP G-1-5 ビギナーズ日本の思想 発行年月:2009年07月 関連キーワード:ドウゲン テンゾ キヨウクン テンゾ キヨウクン ゼン ノ シヨクジ ト ココロ カドカワ ソフイア ブンコ G-1-5 ビギナ-ズ ニホン ノ シソウ どうげん てんぞ きようくん てんぞ きようくん ぜん の しよくじ と こころ かどかわ そふいあ ぶんこ G-1-5 びぎな-ず にほん の しそう、 カドカワガクゲイシユツ カドカワグル-プパフ 0946 かどかわがくげいしゆつ かどかわぐる-ぷぱふ 0946、 カドカワガクゲイシユツ カドカワグル-プパフ 0946 かどかわがくげいしゆつ かどかわぐる-ぷぱふ 0946 上流貴族の家に生まれた道元は13歳で出家し、24歳のとき南宋へ渡り、上陸を
これはいい!今日から「使える」典座教訓 ★★★★★
典坐(てんぞ)とは、禅寺で料理を担当する僧のこと。
「典坐教訓」は、真の仏法を求めて中国に渡った若き道元禅師が、そこで出会った一人の老典坐から伝えてもらった教えを記した本です。

道元禅師の代表的な著作のひとつで、今までにも、たくさんの本が出ていますが、そのなかでも、この本はGoodいや、Bestです。
ぼくは、この本にガイドされて、はじめて典坐教訓を、ほんとに楽しく「あっという間」に、全部通読することができました。

それは、道元禅師の御文章の素晴らしさによることはもちろんですが、現代語訳と解説を書いた、お二人の和尚の「すばらしさ」にもよるなあ、と思います。

一人は、臨済宗の禅僧にして、在野の精進料理研究家の故藤井宗哲和尚。
そして、もう一人は、宗哲和尚亡きあと、この著作を引き継いで仕上げた、これまた曹洞宗の禅僧にして、在野の精進料理実践家で禅アーティスト「野良坊主」の柿沼忍昭和尚。柿沼和尚には「眼から鱗」の精進料理を教えて頂きました。

お二人とも「飯炊き」を、道元禅師の示された大切な修業と、しかと心得て、日々包丁を手に、台所でダイコンや人参、豆腐やゴマと「語りあい」「戯れ遊んで」いるお方。

そんなお二人が書いた解説が、面白くないわけはありません。

そして、この本には、「典坐教訓」が伝えたかったことを「うん、そうか!」と納得・理解し、最後まで楽しく読んでもらうような、ちょっとした工夫が、あちこちに、さりげなくなされています。

こんなすばらしい「典坐教訓」が出版されたことは、ほんとにうれしいかぎりです。
食と仏道を同じレベルで語る ★★★★★
道元は十三歳で出家し、二十四歳のとき南宋へ渡って学問・修養を積んだ。典座(禅寺の食事係)の老僧と運命的な出会いがあった。帰国した道元は、寺院の規律・基準となる書を著しその中には『典座教訓』がある。食と仏道を同じレベルで語ったもので、典座を務めた体験に基づき、禅の精神がこもっていている。
 料理心得の第一は、「食材を管理するには、自分の瞳のように大事にしよう」と言っている。わが命、心そのものと思って、大切に扱わなければならない。
 第二に、「米を洗い、菜を整える時、真心をこめ細心の注意を払おう」と言っている。
 それに続いて十三項目ある。食事を作るための心得を通して、「禅の心」を知ろうというわけである。 
 道元禅師の「典座教訓」の中の「三心」とは「喜心・老心・大心」
 喜心(よろこびの心、感謝の心 )広大無辺の仏縁、良縁を結ぶ心がけ。達観の心。
 老心(親心、親切心 )は父母の心である。眼の中へ入れても痛くない、子を思う心である。
 大心(大いなる心、なにものにもこだわらない心は)純な心で包み、覆う意を込めている。
 
ビギナーズ 日本の思想  〜道元「典座教訓」〜 ★★★★★
道元禅師の典座教訓の中に「三心」というのがでてくる。
三心とは「喜心(きしん)・老心(ろうしん)・大心(だいしん)」だそうだ。

喜心…よろこびの心、感謝の心
老心…親心、親切心
大心…大いなる心、なにものにもこだわらない、求めようとする心を忘れ成し遂げる心、と理解した。

この本には、この「三心」の“こころ”がぎっしり詰まっている。

典座の職を担ってこられた二人の和尚が、日々工夫し修行され、他の雲水たちに真剣に、心からの食を供養している姿が本文からよく想像しながら読める本だ。

俗っぽく言うと、食を担っている者が食べる人に対して、どんな心で、どんな思いで提供するのか、そして何が喜びとなるのか振り返ることができる。

基本的なことだが、なかなか出来ず、ましてや今となっては忘れかけている何かを、思い出させてくれる。

これは食を通して書かれているが、広くは、どんな仕事でもあてはまり、毎日の生活にもあてはまる。
ましてや足元の家庭での食事であれば、なおさらピッタリなものである。

表題に「ビギナーズ 日本の思想」とあるように、和尚たちが経験を通してビギナーな私たちにやさしく語りかけ、カッコつけることもなく、正直に感じたままを説法をてくれている。

まさしく私たちへの三心の贈り物の本である。
超訳『典座教訓』−禅は,食と云う日常生活にある− ★★★★☆
人は,生きて行く限り,食を取る。食は,生命・生活の根幹である。だから,禅では食事を重視し,仏法に従って食べる者を「仏」とさえ呼ぶ。
本書の原典である『典座教訓』は,日常の食事に係る諸行為(食材調達,調理,給仕,摂食,片付け等)を通して禅的な生き方を身に付けられるように,日本曹洞宗開祖=道元禅師が古文で記した指導書である。これを,臨済宗藤井宗哲和尚が,氏の長年の典座(=禅寺の料理長)経験を踏まえ,分かり易い現代文に書き下ろし,解説を加えた(古文も併載)。不幸にも氏は執筆途上で亡くなり,全18章中第10−18章の解説は曹洞宗柿沼忍昭和尚の手による。
禅に,金言「至道無難 唯揀択(=憎・愛)を嫌う」がある。グルメの時代,憎・愛(=好き・嫌い)は食の中にも現れる。厭う事なく,外に望む事なく,心静かに,縁有って食材になった動・植物に,料理に係わった人達に,感謝しつつ頂く。食の一例だが,こんな当たり前の行為も立派に禅である。下ごしらえや後片付け等,食の他の面にも禅を修する機会は,幾らでも在る。
第10章は「椎茸問答」の後日談。道元「如何なるか是れ文字(=仏典・語録)」。典座「12345」。道元「如何なるか是れ弁道」。典座「遍界曾て蔵さず」。"12345"は,難解である。「"12345・・・∞"の略で,世界のありとあらゆる物が文字なのである」,「南泉の"12345"を指し,掛け声のみで実践の無い事を示す」,色々な解釈がある。併載原典中の引用「万像(=多数の文字)窮め来たるに,拠(り所)を為さず」は,「『文字』と化名せる『知識の世界』は,即ち『諸法実相(=「一」)の世界』に非ず」を示唆する。柿沼氏も,「物事の本質は文字によって捉える事はできない」と記す。対して藤井氏の訳には,「文字は単に文字でない・・・,真正,深奥な禅味禅心,真の仏法が体解できうる」とある。看話禅=公案禅の臨済宗藤井和尚としては,致し方ない所なのであろう。しかし,同一章内の異なる2つの解釈は,ビギナーを混乱させる。改版時の改稿が期待される。
書中,記載の重複,誤字も見られるが,これらは大して気にならない。