耐震偽装問題や国立マンション事件等について詳しい
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第一章 日本が危ない―耐震偽装問題の構図
第二章 数の偽装―住宅地にそびえ立つ高層マンション
第三章 「官から民へ」の落とし穴―建築法制の崩壊
第四章 プレーヤーたち―政官財、マスメディア、そして米国
第五章 裁かれる裁判官―「良心」を忘れた司法
第六章 美しいまちへ―問われる市民
第一章では、民間機関がミスを犯した物件でも、その責任は自治体(特定行政庁)にある、という判例にふれているが、これは驚きである。
民間機関が確認申請を下ろした建築物について、行政庁は詳細な図面等を見てもいないのに、なぜ責任を取るのか。監督責任はあるが、どうやって責任を取るのか疑問である。この判例があるために、民間機関は判断に困ったときに、申請の代理者に「○○市に行って聞いてきて、それを報告してください。」という。確認申請は民間機関にも自治体にも出せる、が、その住み分けができていないように思う。
第五章では、国立マンション事件、府中マンション事件、都立大学跡地事件について解説している。
景観権の権利問題について裁判を起こす方がいる一方、高層マンションを買う方がいる。買う人がいるからこそ建てる人がいる。万が一の時に階段ですぐに逃げられるような階に住んだ方がいい、大地震でどういう被害が出るか分からない免震構造の建物には住みたくない、というのは私の個人的な意見である。
第六章で著者は「建築確認から建築許可へ」という提案に賛成だと言っているが私もそうである。
戦後に出来た、建築基準法。日本がここまで発展し、技術的に多様な建物が建てられるようになった今、そしてライフスタイルが変化し多様な用途の建物がどんどん出来ている今、建基法はいくら改正しても時代の変化に追いつけないだろう。
偽装、談合、手抜き
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耐震偽装に始まった建築業界を揺るがした偽装問題。
法律が悪いのか、審査の仕組みが悪いのか、専門家が悪いのか。
民主主義であれば、国民が悪いはずではないだろうか。
最後に「問われる市民」という副題があるが、
国民の課題に焦点があたっていないのは残念。
お金を出した人が、自分で確かめるのが一番大事で、
官公庁はそういう人に適切な情報を伝えることが大事ではないか。
その官庁は、建築だけでなく多くの分野の入札で、談合体質だから無理なのだろうか。
学校関係の建物が手抜きで水漏れが多いのは、もっとひどくないだろうか。
報道の洪水が退いた今、耐震強度偽造問題の背景と本質を解明
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聞きなれない「耐震強度」の用語が日本列島に降り注ぎ、後から後から各地での同様のマンションやホテルなどの耐震強度偽装と建築にかかわる大量の疑惑の報告が続いた日から、私たちは何かを学んだのだろうか?
マスコミにより、特異な個性に仕上げられた設計士と何人かの会社社長。私生活やその生い立ちが、あたかも事件の重要なキーワードであるかのマスコミによるミスリード。
立法府の証人喚問の後に残ったものは、別件での何人かの裁判と倒産により消える幾つかの会社。急激に忘れ去るマスコミと国民。
本書は、良好な住環境とまちづくり。都市計画法と建築基準法、公共事業の在り方に長年警告を発してきた五十嵐敬喜の最新作である。
五十嵐の筆は、訪ね歩いた各地の建築紛争の現場、そして当事者とかかわった裁判の経験を糧に、戦後の住宅政策、土地利用をめぐる経済と法の変遷を多様な資料により跡付ける。
そして、五十嵐の標的は裁判官にも到達する。
マスコミにより作り上げられた「特異な個性の設計士と会社社長」の物語から、新たに市民による街作りの物語の必要性を示唆している。