この下巻では、母と夫を立て続けに失うという失意の中、自分探しの中東旅行でマックスと出会い、思いもよらなかった再婚をすることになる波乱に満ちた私生活と、本格的な充実期に入った著作活動における秘話・裏話がたっぷり語られている。
例の謎の失踪騒ぎについては、直接的には一切、触れていないものの、騒動に耐えられずカナリア諸島へ旅立つに際し、マスコミや群衆に対する不信感を吐露した幾つかのコメントに、狂言説を強く否定するニュアンスが込められている。
マックスとのエピソードは面白い。マックスとは、ウルでの遺跡発掘調査終了後に、ひょんなことから二人だけの運命的な小旅行が実現するのだが、道中でのある些細な出来事で、マックスはアガサを将来の妻と決めているのだ。また、帰国の旅のさなかに飛び込んだ「一人娘重態」の報に、急きょマックスと乗ったオリエント急行で、あろうことか途中の停車駅で列車に乗り遅れ、映画の一シーンさながらに、山道を抜きつ抜かれつのカーチェイスをするくだりも見物だ。
著作活動の面では、探偵小説について、「言葉の節約は探偵小説には特に必要」で、「適度な長さは五万語」としており、アガサの定評のある簡潔で読み易い文体が、読む側に立って計算され尽くしたものであったことが伺える。マープルのモデルとなった人達についても詳述しており、ポアロとマープルを老人として登場させ、自分と同時に年をとっていくキャラにできなかったことを計算違いと認めていたり、劇作家の道に踏み込んだ真意も述懐するなど、興味の尽きない話題に溢れている。
世界最高のミステリ作家でありながら、内気で控え目な、愛すべき人間アガサ。その自伝は、与えられたよき人生と愛を神に感謝する言葉で、幕を閉じる。
さて、読み始めてすぐに気が付いたのが、「はて、これは、前にどこかで読んだような記憶が…」というフレーズが頻繁に出てくることである。調べたところ、「未完の肖像」であった。改めて並行して読み比べてみると、一目瞭然、ときには実名で語られているエピソードさえあるのだ。一部に改変はあるものの、「未完の肖像」のエピソードは、この自伝のエピソードと重なっており、「未完の肖像」は、ほぼ、アガサの私小説であったと見てもよいことが確認できた。この作品を書いたのがアガサ44歳のときであり、このときは、アガサ自身、まさか後年、自伝でこの小説のネタを明かすことになるとは思っていなかったのだろう。
ところで、意外なことに、アガサは、15歳まで学校教育を受けていないため(本文の記述から逆算すると13歳頃)、文法がまるでわからず、作文はうまくなかったのだそうだ。ただ、その頃の教師の「あまりに空想的」という批評は、その後のミステリ作家としての大成を予言しているようでもあり、16歳のときに初めて書いた長編小説「砂漠の雪」を読んだ、当時、隣人であった「赤毛のレドメイン家」で有名なイーデン・フィルポッツは、「あなたは会話にすぐれた感覚を持っている」と、アガサの最大の長所の一つを、早くも見抜いている。
また、注目すべきは、初めて探偵小説を書こうと思い立ったエピソードの中で、ポアロの人物像が完成していく過程を詳しく語っていることだろう。デビューの4年前のことであるが、このときの作品は、出版社から何度も送り返され続け、アガサも出版の望みを断念しかけている。後のデビュー作「スタイルズ荘の怪事件」である。