風水とは
★☆☆☆☆
風水が親孝行の思想からきているということを紹介して
している点は評価が高いが、それ以上、どうってことが
ない本。一部の原書マニアに受けるだけのことで・・・
こういうのも読んでみるといいかも
★★★★☆
本書は主に『人子須知』の詳解を通して風水の思考法を伝えるものである。「本書を熱心に読んでも幸せになれるわけではない」(P.8)((;'▽`A``噴いた)という軽く皮肉を利かせた言葉に表れるように、著者は風水での開運も「気」も信じておらず、古来中国にあった思考法として客観的に研究する立場を貫く(中国医学は認めている)。
さて私事だが、風水についてはとても困惑している状況にある。実在としての気は前提できないし、また気の効用とか開運という考えも苦しい(効用があったと思うのは、効用を意識するバイアスのかかった構えゆえと考える)。しかし一方で、思想としての気や風水を否定するつもりもなく、何かの現代的意義があるという思いがある。ただどんな点で意味があるのかを言語化できない。本書はこれを考えるきっかけとなった。有難かったのは例えば次のような内容や説明である。
・風水の基本概念について(地理という語の本義は風水、など)
・風水の難解さの理由(「いかがわしさ」を陰陽五行説など学問的な用語で粉飾)
・風水が「道」や「技」などと比べて「術」という低位に置かれていた事実
・風水が人徳的生活を前提にすること
etc.
上の4番目の徳行などは、現在の風水ブームではほぼ完全に隠蔽されている観点であり、これが同じ風水かと驚いた(開運風水も一つの商売だから、「これをやれば、運が開ける」という巧言令色の因果律で書くほうが売れるというのはわかるが、それではやはり不誠実では。確かに徳行は不要とこそ言わないにせよ、徳の必要についてあまりに強く口を閉ざすため、「こうすれば、幸せになれるんだ」と読者は短絡した誤謬推理に陥りやすいのでは。これはやはり罪なことではないだろうか)。
こういう客観的なものを読んでバランスをとることも大事だと思う。
巒頭風水研究の好著
★★★★★
TVや雑誌で取り上げられる、風水=方位・色という図式を変える好著です。
この本の著者も日本の風水学現代事情には悩まされ迷惑していることがかかれています。
日頃、風水で目にしない巒頭(形態看法)風水を簡潔かつ、具体的な原書の解説を交えながら堅苦しくならずに読むことができます。
研究書の名著です。
風水について語りたいなら必須
★★★★☆
本書では新書というスペースの中に、オーソドックスな風水とはどのようなものなのかが最大限に詰め込まれている。そしてオーソドックスな風水の典拠として「地理人子須知」を採用している。「地理人子須知」は明の時代に完成したテキストで、著者は陽明学を学んだこともある知識人の徐兄弟である。地理もかっては狭義の地理学と地理による占いのアマルガムであった。つまり「地理人子須知」の地理は風水を意味している。また「地理人子須知」は埋葬について書かれたものなので、当然のように陰宅風水が中心になっている。
新書という狭いスペースの中で、第一講の「風水とはなにか」に28ページもの分量が割かれているのは、日本における「風水」という用語の乱用を考えると仕方がないことだろう。第一講を読めば風水という言葉が本来持っていた意味、現代における風水という言葉の使用状況を理解することができる。
「風水講義」は今のところ風水を風水たらしめている地形の吉凶を論じる巒頭の見方を概観するには最適の書籍といっていいだろう。個人的には「風水講義」を読まずに風水を語ること禁止、といいたいところだ。確かに風水の二本柱である巒頭と理気の、理気についての解説が「風水講義」ではカットされている。しかし巒頭を無視したような風水が横行している日本では、「風水講義」のような書籍は絶対に必要な書籍である。風水について語りたいなら、幸せになれなくても「風水講義」を一読すべきだろう。