宗教はなぜ必要なのか? 『親鸞・他力の救い 上巻』
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・なぜ、人は宗教を求めなければならないのか?
・なぜ阿弥陀さまに助けられなければならないのか?
・また、救われる必要性を感じているのだろうか?
・なぜ、仏法を聴聞しなければならないのか?
「仏教って一体何なんだろう?私に関係あるのかな…?」
皆さんは仏教に対してどのようなイメージをもっていますか。
年をとったらお寺に話しを聞きに行くもの。若い私には関係のないもの。
このように思われているかもしれません。
しかし、決してそうではありません。
仏教(仏さまの教え)は老若男女全ての人に大切なことを教えてくれるものなのです。
いのちの不安を抱えている人は年老いた方だけでしょうか。
病気をした人だけでしょうか。
そうではありません。元気で若い人も、いのちの不安を抱えているのです。
いのちの不安は「生死」の苦悩であります。
この苦悩を解決することこそ、仏教なのです。
仏さまの救いはそこにあります。
私は素晴らしい先生と出遇い、素晴らしい本と出遇いました。
本書を読めば、上記の疑問が必ず解消されるはずです!
親鸞聖人の教えに学びながら、宗教がなぜ私にとって必要なのかを一緒に考えていきましょう♪
【目次】
まえがき
序論
「無量寿如来に帰命し」 ―信仰告白の言葉―
いのちの環流 ―往還回向の哲学―
無我(帰命)の思惟 ―親鸞聖人の「案ずる」とは―
教行信証の哲学 ―「宗教的体験の理論的回顧」―
Ⅰ、いのちの要求 ―宗教的要求―
ⅰ、宗教的要求
西田幾多郎における「宗教的要求」 ―宇宙と合一の要求―
いのちの要求 ―宗教的要求―
蓮如上人における無常観 ―「後生の一大事」―
「後生の一大事」 ―いのちの不安の解決―
親鸞聖人における無常観 ―「生死出づべき道」―
生死一如 ―生の影として付きまとう死―
「生死出づべき道」 ―いのちの不安の解決―
ⅱ、「今生」の不安と生死流転
「今生」の問題の解決 ―尽きない悩み―
死の確実性と不安 ―無常の風―
「一人の王様と四人のお后の喩え」と「毒矢の喩え」 ―今生の迷いの姿―
「今生」の解決から「後生」の解決へ ―宗教を求める―
生死流転 ―阿弥陀さまを疑う―
「我」を信じる ―凡夫ということ―
死んだら終わりなのか? ―客観的な死生観―
ⅲ、仏法聴聞
仏法聴聞の意味 ―宇宙の迷い子―
「うかれたまひたる人」 ―「凡夫病」にかかっている重病人―
「身命をかへりみずして」教えを聞く ―仏法聴聞はいのちがけ―
「長生不死の神方」 ―信心の念仏者は死なない―
宗教は自己「一人」の問題 ―「仏法聴聞」が解決するのは「自身」の不安―
絶対の価値転倒 ―「今生」中心主義から「後生」の解決へ―
学仏大悲心 ―阿弥陀さまの他力回向を学ぶ―
仏法には無我にて候ふ ―聴聞もお説教も「無我」となる―
無宗教であると言っているあなたこそ、是非読んでみて下さい♪
【著者紹介】
浮島 範道(うきしま のりみち)
浄土真宗本願寺派 布教使。
福岡県に生まれる。
二〇〇五年 龍谷大学文学部真宗学科卒業
二〇〇七年 龍谷大学大学院文学研究科真宗学専攻修士課程卒業(文学修士)
二〇一〇年四月~二〇一二年三月 九州大学 文学部 倫理学専攻 研究生
浄土真宗本願寺派 安養寺 衆徒