片手にちょうどよい大きさの装丁と重さとは、大きくてずっしりとした今のOALDと比べて隔世の観があります。当時の定義語数は僅かに一千。定義語三千語をさらに一層アングロサクソン起源の中核英語に軸足を置いて、基本動詞と方位副詞とを駆使したOALD第6版の記述と比較すると、この小型辞書が中級学習者に与える情報量ははるかに少ないですし、当時の英語語彙数が多かったエリート層の日本人を想定してか、定義も別の難意語(仏語、ラテン語起源が多数)を使ってなされていることが多いように見受けられます。(このため、皮肉で言うのではありませんが、難関大学受験用単語集を覚えることに労力を割いた受験生にとっては、基本語を駆使したOALDよりも取っ付きがいいかもしれません)
しかし、それでもこの辞書の価値が失われることがないのは、大袈裟な喩えですが、数学のユークリッド原論や物理学のプリンキピアと同じことが起きているからではないでしょうか。つまり、解説書や読みやすい教科書がほかにいくらたくさん現れようとも、原典であるが故に常に上級学習者達が戻ってくるのです。「基礎とは応用の応用」である、という逆説めいた格言が真を穿っていることを感じざるをえません。
なお、「1940年代の香り」ですが、書店で見かけたら試しにAustria,Corridor,Aircraft-carrier等の単語を引いてみてください。私が気付いただけでも、こうした単語に編纂当時を感じる語義や図が載っています。