高級霊からの贈り物
★★★★★
私は「シルバーバーチの霊訓」を読んでから本書を読みましたが、どちらにもスピリチュアル的な要素が盛り込まれており、さすがに高級霊が語った内容に矛盾はないと感心させられました。
イエスの少年時代を綴った高級霊によるカミンズの自動筆記は、イエスが人類の指導的立場にある人とはいえ、真理に導かれる者に例外はなく、少年時代のつらく厳しい環境をリアルに語ってくれています。
母マリヤが処女懐胎なのかどうかは、次の「イエスの成年時代」の巻頭で「シルバーバーチの霊訓」の訳者である近藤千雄氏が一筆説明して下さっているので、気になる方はそれをご覧下さい。
イエスは少年のころから有能な霊能者の片りんを表してはいますが、しかしそうはいってもやはり子どもです。高度な霊性を備えているものの、まだまだ精神的に幼く迷いの中で成長するイエスの心の葛藤がよくわかります。そして、イエス以上に迷っているマリヤやヨセフの姿はときとして読者をイライラさせはしますが、非常に現実味があり、聖書には無い真実の姿を想像させてくれます。
真理を探究する者のみならず、「人はどう生きるべきなのか」と迷っていらっしゃる方にもお薦めの一冊です。これから読む「イエスの成年時代」がより楽しみになりました。
信憑性はあるのだろうか?少し腑に落ちない。
★☆☆☆☆
霊界通信を研究しており、イエスの知られざる一面が知れると
思い、楽しみに読んでみたのだが、疑問に残る部分が多かった。
まず、聖書研究者が「正真正銘と認めた」とあるが、何がどう
正真正銘であるのか述べておらず、はっきりしない。
聖書に書かれていないイエスの真実の物語が、
ここに書かれている通りだという意味なのだろうか?
本書を読んでみて、私には少し腑に落ちないところが多かった。
ひとつ挙げるならば、私はマリアの処女懐胎説には疑問を持つ
一人で、これは確か、他の権威ある霊界通信では、ローマ兵に
レイプされたのが真相であると書いてあったと思うのだが…。
他にも井戸汲みに行った時に相思相愛になった青年との別れに
際しての、甘い思い出の産物であったとか、
いろいろ書かれてある霊界通信もある。
いずれにしても、釈迦がマヤの腋の下から生まれたとか、
生まれた直後に7歩歩いて、「天上天下唯我独尊」と言ったなどと
同じレベルの伝説だと思っているので、
この通信にまんま処女懐胎説で描かれているところを見て、
通信霊が教会に媚を売っている思いがして信憑性を疑った。
本書はイエスに関して、いわゆる「非科学的」な
処女降誕説を採用している。
大学レベルの生物学を学んだことのある人ならば誰しも
疑問に思うところであるが、ゲノムインプリンティングの
問題から、ミツバチならまだしも、哺乳類においては単為発生は
まず不可能である。私は「霊」が存在することも、
人間の「魂」が死後も存在することも知っている。
そう、「信じている」のではなくもはや「知っている」のである。
それゆえにいわゆる「奇跡」というものも確かにあるのだろう
と思うが、ことキリストの誕生に関してはごく普通の受精による
誕生であったと思う。
人間よりも歴史の真実を語れる「霊」であるのなら、
どの霊界通信においても内容が一貫していて欲しいのだが、
大事な箇所を煙にまかれるところがいつも腑に落ちない。
訳も子供の絵本のような口調で書かれるところが散見され、
急に冷めてしまうこともあり、大人が読むには少々苦痛に
感じる面もあった。
純真な姿
★★★★★
美しく流れるような文章で綴られるイエスの少年時代の物語は、あまりのリアルさの中に我を忘れて感情移入してしまいました。苦しみの中で浮かびあがる美しいほど純真なイエスの姿が目の前にありありと浮かびあがるようです。夢中になって一気に読んでしまいました。読むだけで心身が浄化された気分です。これがもし小説であったとしても、大変に素晴らしいもので、子どもがもう少し大きくなったらぜひ読んでほしいと思いました。しかし、暴力と権力が支配する暗黒の時代に正々堂々と真正面から勝負したイエスはいかに偉大であったことか・・・世界中で愛される理由がやっとわかりました。
思っていた通りのイエスがここには書かれています
★★★★★
天の父「神」の教えを何よりも大切なものとして、不滅の霊魂の生きるべき姿を教えてくれたイエスの少年時代。物質世界の欲望を乗り越えて純粋に霊的価値だけを見つめて生きることの難しさも読みとれます。
純粋な心、輝くような叡智。美しく、心に響く内容です。
霊的真理を学ぶ者にとって勇気を与えてくれる一冊です。
近しくも決然たるイエス
★★★★★
霊界通信という書名からしてなにやら怪しい。自動書記という、いわばトランス状態で書かれたイエスの記録だという。しかしその内容は、聖書研究者たちの折り紙つきだというから更に心中は穏やかではない。読み始めて愕然とする。フィクションと呼ぶには余りにリアルに描かれたイエスとその家族、律法学者、そして当時の息吹が、眼前に迫ってくるのである。まるで映画のロケで、カメラが役者を追うかのごとく、間近で物語が展開する。エピソードが多々描かれる中、イエスが大祭司と繰り広げる丁々発止の議論と魂の交感は、あまりの迫力に全身の力が抜けた。聖書の引用も随所に、イエスの口から語られるが、そうした聖句が生き生きとした会話の中で語られることで、そこに新たな響きが生まれている。書中のイエスは、その存在自体が既に、初めから「別格」で、その圧倒的な存在感と叡智は「神の子」と言わしめるに十分な輝きを帯びている。しかし幼少のころのイエスが周囲から白眼視され、問題児扱いされ、少年時代も腕の悪い大工だったとするところに、むしろ本書の低からぬ信憑性が示されているように感じる。イエスが初めて奇跡(神癒)を起こすシーンは圧巻である。仮に本書が全くの創作だとしても、イエスをここまで鮮やかに、そして時に近しく描いているのは特筆すべき点であろう。本書は、聖書からは窺い知ることのできないイエスの少年期に光を当てたということで興味深く、多くの読者に閃きをもたらすであろう。わたしにとっては映画『最後の誘惑』や『パッション』にも引けをとらない驚きに満ちた一書であった。