自由社会の潤滑油=マナー
★★★☆☆
この国にはかつて「ムラ社会」があり「家制度」があった。そんな時代は個々の自由はかなり制限されたが、年長者の引いたレールを邁進することによりムラ社会と家を維持して、同じ事を子にも求めていった。時代は進み、移動やライフスタイルの自由化。何より科学や資本主義経済の発達により「年長者」が万能な時代は終わりを告げ、消費社会の中では消費者=「お客様」こそ神様になってしまった。そうなるとマナーの有り様も変化せざる得ない訳で、その変化を嫌いタテ社会回帰を求める高齢者やマジメな人と、自由を履き違える若い人々とのギャップが「諍い」を呼んでいるのではないだろうか?いくら自由な社会でも、集団で社会を形成してゆく我々にとって多少ズレても「ソト社会」への気遣いを意識してゆく必要はありそうです。
社会学者の「高みの見物」
★★☆☆☆
のっけから恋愛関係におけるいわゆる「二股」を「愛情の分散」と称する言説を取り上げて肯定(ないし容認)しており、ついていけないものを感じたが、キャラクター設定による人間関係(「キャラ的人間関係」)を論じた章は面白かった。
しかし全般的に高みの見物的というか、例えば近隣トラブルをマンションの管理会社や警察に任せることまで「お客様社会化」などと揶揄するのは、自力解決を図った場合、ときに命に関わるということへの理解不足の表れと言わざるを得ない。
もっと深みのある考察を期待したのだが。
金を出せば、口も出す?
★★★☆☆
消費者を優先しすぎた結果、
「キレるお客様」が登場した。
客は神様じゃない。
消費者の不満を見つけ、解決することは重要だと思うけど、
何もへりくだる必要はない。
消費者だけじゃない。
クライアントに対しても。
「マナー神経症」を患っている側に立って書かれているわけではない
★★★☆☆
電車の優先席付近で、通話はしなくともゲームやメールのためにケータイの電源を入れた状態にしている人を見ると、ペースメーカー使用者でない私への実害が無いにもかかわらず、何とも言えない不快感がこみ上げてくる。20年ほど前、私が20代だった頃なら、このくらいのことは気にも留めなかったと思うのだが…。
些細なマナー違反が非常に気になる今日この頃なので、タイトルの「マナー神経症」と言う言葉に惹かれ本書を購入したのだが、本書が主としているのはマナーを守らない側の考察である。「荒れる成人式」や「ひきこもり」の分析などに納得する部分が多々あり、興味深く読み進めることが出来たが、マナー神経症の発症の機序などに対する言及がなかった(と言うよりも、著者が指摘する「マナー神経症」と私が求めていた「マナー神経症」にずれがあったと言うべきかもしれない)ので、最後には大きな不満が残ることになった著作である。
「お客様」の「聖なる欲望」
★★★★☆
『自己コントロールの檻』が非常に面白かった社会学者・森真一の本。内容は現代文化論で、マナーの問題からケータイ・コミュニケーション、キャラ的人間、荒れる成人式、ひきこもり、と現代の様々な現象が取り上げられています。
この本の特徴は「動物化」とか「シニシズム」といった最近よく使われる分析用語を使っていない点で、世間の一般的な見方を懐疑しながら、比較的昔からある社会学の知見を使って現代の風潮を分析しています。
全体的な分析もなかなか鋭いと思うのですが、この本の中で特筆すべきなのは第7章の”キレる「お客様」”の章。「『お客様』として生まれ、『お客様』として死ぬ」現代社会において、個人の欲望が「聖なる欲望」まで高められ、その「神聖な欲望」を傷つけられた「お客様」がキレる、という著者の仮説はなかなか説得力のあるもので、面白いです。他の部分を削っても、この章をもっと膨らましてほしかった気もしますが、それは次の著作に期待ということで。