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この世は二人組ではできあがらない

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本
ブランド: 新潮社
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紙川ピエロが可哀相? ★★★★☆
ふたりの破局は不可避で必然、紙川に生活力がないから。ン?努力の末念願の公務員試験に受かるのだからそうでもないか。男にないのは定見だ。試験勉強に障るからと同棲を止め、別れたおんなの仕送りのお陰で勉強できたのに結局中途採用の日能研に行ってしまう。男の風上にもおけない奴だ、昔だったら。栞さんだって紙川さんが公務員なんて柄にもないと思っているのに戻ってくる筈も無い金を出し続けたりして素直じゃない。ここまでお膳立てしておいてオンでなければオフなの、オンでもオフでもない関係ってないの。気持ちはよく分かります。年かさ読者向けの説明は要りません。それにしても川上弘美バリの文体はいかがなものか。乾いた文体が内容にマッチしそう。
久々の小説 ★★★★☆
久々に小説を読みました。
山崎ナオコーラさん。

ご本人の自伝か?と思われるほどリアルな場面がたくさん出てきて、
引き込まれながら読みました。

単なる青春、恋愛小説ではなく、
働くって何? 結婚って何?
生きるって何? 戸籍って何?
と今まで(少なくとも私は)考えずに通り過ぎてきたことを
深く、深く掘り下げていて、考えさせられる1冊でした。

小説でありながら、ドキュメンタリーを見ているようなところもあり、
恋愛の行方もくっついたり、離れたり。
相手の男性に読んでいる私が嫌気がさしたり「その反応?」と突っ込んでみたり。

いろいろ考えさせられる1冊でした。
高校生くらい、大学2年生くらいまでに読んでおいた方がいい1冊だなあ、と
私は思います。
「はっきりしない」かんじのリアル ★★★★★
『カツラ美容室別室』のときも「なにこの淡々とした展開は#」だとか、「主人公たちに全然共感できない」なとの批評を受けてましたっけ。この作品も、おそらく「そういう風にしか読めない人には一生わからない作品」だろうなあと思います。もうそれはしょうがない。だって,これこそが,山崎ナオコーラの真骨頂だからです。

まずは,なぜこの装丁!とおもいました。表1は紺碧の空をバックに吹き上がる爆風。そして表4は、紺碧の海からふきあがる噴煙(海底火山?!)です。装画は会田誠さんの作品だそうです。作者インタビューで,ぜひこの装丁の意味を語ってほしい!

さて、お話しのなかで、主人公である私(しおちゃん)は何度も「爆笑」します。しかしその爆笑は、愉快な笑いではなくて,そのほとんどは「へっ,なにいってんのこの人」とか「はあっ?バカみたい」という類の笑い。かなり挑戦的です。見ようによっちゃあナマイキかしらね。そして、この人は,笑うだけじゃなくて,よく泣きます。だけどそれは「単に涙腺が弱い」だけだって言っています。でも,どうやらホントは,そんなに強くもないみたい。

私の頭をいい子いい子してくれたりやさしくしてくれる,そんな紙川くんに甘えてしまえばらくちんだってわかってる。だけど、なんとなくそう,手放しではそうできない居心地の悪さを抱えてる。実はそれは,紙川くんのほうでもおんなじように感じてることだったりして、それがまたそれぞれの自己嫌悪につながっていって...という悪循環。このあたりの「はっきりしない」かんじが、実にリアルです。

だけどね、ふらふらよろよろ,なんとなく歩いているうちに、ちゃんと確実に前に進んでいるのです、このひとたちは。そのいじましさというか、よろけ具合にほろっとします。そして、わたしもがんばろって、なんだかそう思えてきます。そんな本です。
ナオコーラ、スカッとさわやかにはなりません ★★★★★
ワタシにとって初めてのナオコーラ体験の一冊です。

肌にまとわりつく空気とか、日差しとか、皮膚の感覚を精緻に表現するうまさは独特で、終始淡々とページをめくるうちにナオコーラ的世界にやみつきになります。

しかも、数ページごとにはっとするような(それでいてとても温度の低い)箴言がでてくるので気が抜けません。

あまたあるユニークな箴言のなかでひときわ印象が強かったのは
『まだ誰も見つけていない、新しい性別になりたい』
ということばでした。

子を孕むことのできる主人公の女性のなかの、硬質の感覚はまさに男性そのもので、「文学」という男性は彼女の子宮の中ではぐくまれているのでしょう。

たいへんな産みの苦しみを味わった(そしてこれからも味わう)であろう著者に敬意を表して☆いつつです。
自意識過剰の文化系少女 ★☆☆☆☆
気になっていた小説家で、はじめて読んだのですが、このひとの小説がみんなこんな感じなら、僕はもう二度と読まないと思います。

小説家志望の女性とその恋人の、特に筋らしい筋もないエピソードの羅列、といったかんじなのですが、作者は高校生かと思うほど、青臭い自意識のうじうじした葛藤と若者にありがちな無恥な達観に満ちていて、イライラしっぱなしでした。

「ポストモダンの冷めた人間関係」みたいなものに、「時代の空気」的なものをこめたいのか。保坂和志のようにただ「何も起こらない日常」を書きたいのか知りませんが、とにかく主人公も恋人も、相手や親や社会やいろいろなものに甘えてそのことに気づきもせず生きているようにしか、社会も人生も舐めくさっているようにしか思えず、そういえばこういう小説って、90年代後半の「J文学」とか言われたころに腐るほど湧いて出てすぐに消えたな、と思いました。
青少年のモラトリアムをこれほど正面から書いた小説って、逆に珍しいかも。

あと作中人物の「読んでいる本」とか「聴いている音楽」「観ている映画」とかについて作品名を挙げるときは、じゅうぶんに注意したほうがいいんじゃないかな、小説家は。この短い小説のなかでかなり出てきましたが。それらのタイトルを語るだけで何かを語った気になっちゃいないか?大衆娯楽じゃないよ、アート寄りだよ、という自分のセンスのひけらかし、鼻持ちならない自意識の露呈じゃん。

なんというか、ケータイ小説の裏面だな、と思いました。
あれは記号化された内面と怒涛のような「事件の連続」によって成り立っていますが、こちらは事件のかわりに、自分探し的センチメンタリズムがぷんぷんする。内向性を極端に欠いた表現と、内向性の檻から出られない表現。

短いセンテンスで「気分」みたいなものをポンポン書きつらねていく手法は古いですし、技術的には「逃げ」なんじゃないかな。
あと、たんたんとしているわりには地の文で内面を語りすぎているせいで、軽い印象にもならない。
かんじの悪い文化系少女の自意識垂れ流しの散文、という感想以上のものはありませんでした。