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百人斬り裁判から南京へ (文春新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:稲田朋美/著 出版社名:文芸春秋 シリーズ名:文春新書 566 発行年月:2007年04月 関連キーワード:ヒヤクニンギリ サイバン カラ ナンキン エ ブンシユン シンシヨ 566 ひやくにんぎり さいばん から なんきん え ぶんしゆん しんしよ 566、 ブンゲイ シユンジユウ ブンゲイシユンジユウ 7384 ぶんげい しゆんじゆう ぶんげいしゆんじゆう 7384、 ブンゲイ シユンジユウ ブンゲイシユンジユウ 7384 ぶんげい しゆんじゆう ぶんげいしゆんじゆう 7384 中国人「百人斬り」という捏造記事によって、戦後、二人の将校が処刑された。南京陥落から七〇年、遺族が名誉回復を訴えた裁判は新聞の無責任さや司法の不可解さに直面した。 第1章 南京事件との出会い-人生は偶然であり、また必然である(平成一八年一二月二三日東京駅ホーム向井千惠子さんとの出会い-六年前(平成一三年)の一二月東京地裁 ほか)第2章 遺
壮絶な戦い ★★★★★
『南京事件の総括』(田中正明)の解説で櫻井よし子氏が「百人斬りのうそを暴いてきたのが膨大な資料を有する国家ではなく、民間人であったことに私は胸を衝かれる思いだ」と言う一文から、前から興味があったこの一冊を購入しました。
淡々と書かれているが稲田氏の強い、真の弱者、同胞への思い、そして卑怯な輩への怒りが伝わってきます。この方の意志の強さには感服するものがあります。
いったい、私たちは同じ同胞への痛みを分かち合ってきたのか?真実はずうっと隠されて今まで来たことへの言いようのない虚しさ、遣る瀬無さを感じます。
敗訴かもしれませんが、例のごとく、百人斬りはなかった という見解を示す、司法の不思議。
国の無責任により、汚名をかぶり今も苦しんでいる人。
アサヒの本多記者の「文句は中国にいってくれ」毎日の「新聞に真実を報道する義務はない」愕然とするとともに、嫌悪感を催しました。
稲田朋美さん政治家になった信念は明確です。
無実の罪で処刑された野田、向井少尉、そして中国への旅で報道被害にあった遺族の人たちの無念さ、胸を抉るような真実です。涙が止まりませんでした
典型的金太郎飴本 ★☆☆☆☆
稲田朋美著というだけで開かなくても9割は内容がわかってしまうが、敢えて本屋で開いてみた。
やっぱり読む価値無し。☆0でもいいくらいである。
しかし表紙と著者だけで内容がわかってしまい、更に開いてめくるだけで読まなくても何が描いてあるかわかるという点では評価してもいいかもしれないので☆一つ。
稲田朋美の弁護士時代に関連した歴史修正主義の各裁判敗訴が全てを物語っているため、彼女の哀れな自己弁護と妄想と釈明を楽しむというギャグのネタとして入手する分にはいいかもしれない。
こりゃ負けるよ ★☆☆☆☆
自分側の人の名前には敬称がついているのに相手側の人は呼び捨て、この時点で著者の人間としての程度が知れる。
裁判で裁判官に暴言を吐いて勝てると思っているとしたら弁護士としての資質にも疑問を抱かなければならない。

ようするに喧嘩で負けた子供が相手の悪口を学級日誌に書いているようなレベルの本。

星一つ
「百人斬り」は浅海一男記者の創作には違いないけれど ★★★☆☆
向井、野田両少尉の無実を、ほんとうに立証したかったのなら、きちんと争点を整理すべきだったね。
もともと、「南京事件」と、「百人斬りを捏造した浅海記事」、「両少尉を中傷する本多記事に対する遺族の苦痛」は、それぞれ別の事件なんで、それをごちゃ混ぜにしたあげく、妙な野心を差し挟んだ結果、脱線転覆してしまったということだろうね。
法律家の端くれを自認するなら、著者だって、そのくらいの自覚はあるんでしょ。
たいへん気の毒だと思うが、両少尉のご遺族は、結局「南京事件」を頭っから「全部でっちあげ」にしたい野心家連中の道具に使われてしまったというのが僕の率直な感想。
え! どうして両少尉が無実だと断定できるのかって? 簡単だね。
現場で、「どうやって斬った人数を確認しているんだ?」との佐藤振寿カメラマンの質問に、互いに当番兵を交換してカウントしていると答えているが、その当番兵の名前が出ない。彼らは絶対的に確実な目撃者のはず。その肝心の目撃証人の固有名詞が、浅海記者の口から出ないのは、もともと、そんな人間は存在しないからだ。仮に、のちに戦死したとしても氏名不詳ってことは有り得ない。従って「百人斬り」は、間違いなく東京日々新聞・浅海一男記者の完全な創作記事だと断定できる。
しかも、両少尉を戦争犯罪者と認定する証拠は、この浅海記事を含めて何一つ存在せず、すべては想像の産物ないし憶測の域を出ていない。疑いもなく両少尉は(法律的に)無罪だったと考えてよい。まあ、浅海記事に関しては、山本七平氏の指摘(『私の中の日本軍』)で、だいたいのところは尽きているんじゃないか。
ただ、それを裁判で立証しようとすると話が違って来る。
被告側だって反証を繰り出す(ただし、本件被告側は、状況証拠はおろか、法廷では、せいぜい蓋然性のみしか主張できなかった=『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司氏著)だろうし、南京攻略戦当時、日本軍が武装解除した捕虜や非戦闘員に対し大規模な不法殺戮を行ったのは否定できない事実だ。むろん被害者30万人という数字に信憑性は絶無だけれど、日本側にだって信頼できる事件目撃者は何人もいるしね。
両少尉遺族への名誉毀損認定を突破口に、南京虐殺そのものを「事件全体、中国側の捏造」と裁判所に認めさせようとしたのが過ちの始まり。そのへん十把一絡げに総否定、総肯定することなく、1.事実(南京虐殺)と、2.そうでないこと(百人斬り)、3.浅海記事にある「戦闘行為」を「戦闘中の個人的非行=B級戦争犯罪」と取っ違えて、両少尉を犯罪者と独断誹謗した本多勝一記者の過失と、きっちり3つを別ものと仕分けて押さえないと、そもそも裁判にならなかったということじゃないかと思うよ。
その辺、原告代理人には意図的な誤魔化しがあったし、控訴審判決なんかになると、もう完全に石川善則裁判長に逆手を取られてしまった(『「百人斬り訴訟」裁判記録集』=判決は、浅海記事にある両少尉の行為が、「戦闘行為」なのか、それとも「B級戦争犯罪」にあたる行為か、事実認定を曖昧にしたまま、お惚けに出ている)しするしね。
法廷戦術的に言うなら、東京日々(現・毎日)新聞社を被告から外して味方(過去、一旦は浅海記者の創作と「百人斬り」捏造事実を認めている)に取り込んだうえ、日々新聞掲載の「戦闘行為」記事を、根拠もなく「捕虜や非戦闘員の据物斬り」と読み換えて、両少尉を誹謗する記事とした本多記者と新聞社、出版社(の過失)に、提訴のまとを絞ったほうが良かったんではないか。志々目彰氏の証言なんか、あんなの30年も前、子供のときの記憶だろ。潰すのは簡単だ。
それに「戦闘行為」なら「これを処罰せず」は、戦時国際法&軍刑法の鉄則だから、百歩譲って、浅海記事の「百人斬り」が事実(「不可能と断定するに足る決め手となる証拠がない」というのが今回判決の立場)とされても、少しも両少尉の不名誉とはならない(むしろ英雄的と賞賛されるべき)。職務である軍人の戦闘行為が、両少尉を戦争犯罪人に仕立てあげた罪状だとなると、南京軍事法廷のほうが逆に判決の違法性を問われて、国際的非難を浴びることになる。まして下っ端の将校に「侵略戦争の開戦責任(A級戦犯の罪状)」なんて有り得る話ではないからね。
まあ、たとえて言えば、病人を治療するため外科手術を施した医師を、犯意はもちろん過失もないのに、「人の体を傷つけた」と傷害罪で処罰したのと同じことだね。手術した外科医を軽率にも「サディスト」と非難したのが本多記事の錯誤というわけさ。
本書を見るかぎり、このあたり、欲張って争点を絞り切れなかった原告弁護団って、著者を含め、残念ながら、法律家として、あんまり優秀じゃないな。
■追注.)書籍、『南京事件を考える』のうちにある、「3.鈴木明氏の『取材』を取材する」和多田進氏記事ご参照。
この和多田氏の「南京軍事法廷・裁判長・石喩美」氏に対するインタビュー記事によると、両少尉が敗戦前に上梓した書籍に犯行を認める2人の手記と写真が載っている事実を本人たちに確認させたうえで、有罪判決を下したと述べたとのこと。ただし、このインタビューの真偽について、これも和多田氏の捏造ではないかと疑えば疑い得なくないところに相当の怪しさがある。ところで、この戦争中に両少尉が書いたという書籍なるもの、いまだに、どこからも出て来てない。いま、どこでどうなっているのかね、この本って? ご存知の方がおいででしたら教えて下さい。
名誉回復を担うのは私たちです ★★★★★
 本書は「百人斬り競争名誉毀損訴訟裁判」の経過だけではなく、「百人斬り」との出会い、証人探しなど訴訟に向けての準備や、裁判ではほとんど採用されなかった多くの証言、また著者が衆議院選挙に立候補するまでの経緯も書かれています。若干随筆風な構成と新書ということもあり、一気に読むことができました。

 本書を読みますと、「百人斬り」が、あらゆる点から見て事実無根だったことが分かります。しかし裁判所の訴訟指揮は、原告側の多くの証人のうち一人しか採用せず、被告の本田勝一氏に対する当事者尋問、原告である被害者遺族の当事者尋問も行なわないという、「最初から原告(遺族)を勝たせるわけにはいかないという判断があった」(p.184)としか考えられないものでした。「最初から判決ありき」という点はあの、山口母子殺害事件での無期懲役判決にも通じるものです。私たちにとっても「判決は何から何まで絶対に正しい」という考えが、いかに無知で危険なものか、教えてくれます。

 また被告の毎日新聞と朝日新聞についても、怒りを通り越して恐怖すら感じます。当時この記事を掲載した毎日新聞は「新聞に真実を報道する法的な義務はない」(p.69)と言い、新聞社であることを自ら否定しました。また本田勝一氏の「中国の旅」を何の検証もなく掲載し「百人斬り」を復活させた朝日新聞は今、著者が映画「靖国」への国からの助成金が適切か否かを検証しただけなのに「映画公開前に見せろと言った」と誤報し、著者が映画公開に圧力をかけたかのような印象を広めました(WiLL 2008年6月号 p.102〜)。よほど被告とされたことが憎いのでしょう。

 それにしても、なぜ日本国に対する名誉毀損を、国ではなく一私人が晴らさなくてはいけないのでしょうか。私は、国家や国民の名誉が毀損されたら、国家が全力をもって戦うのが常識だと信じています。しかしわが国は、数々起こされている戦後賠償訴訟について、その事実関係すら争わないという体たらくです(p.21)。著者は、国家の名誉回復は裁判ではなく政治の場で行なうしかないと決意し、衆議院議員になりました。つまり、わが国の名誉回復は、私たち日本人一人一人にしかできないのです。