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封建制の文明史観 (PHP新書)

価格: ¥798
カテゴリ: 新書
ブランド: PHP研究所
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:今谷明/著 出版社名:PHP研究所 シリーズ名:PHP新書 560 発行年月:2008年11月 関連キーワード:ホウケンセイ ノ ブンメイ シカン キンダイカ オ モタラシタ レキシ ノ イサン ピ-エイチピ- シンシヨ 560 ほうけんせい の ぶんめい しかん きんだいか お もたらした れきし の いさん ぴ-えいちぴ- しんしよ 560、 ピ- エイチ ピ ケンキユウシヨ ピ-エイチピケンキユウシヨ 7159 ぴ- えいち ぴ けんきゆうしよ ぴ-えいちぴけんきゆうしよ 7159、 ピ- エイチ ピ ケンキユウシヨ ピ-エイチピケンキユウシヨ 7159 ぴ- えいち ぴ けんきゆうしよ ぴ-えいちぴけんきゆうしよ 7159 封建制は民主制の反対概念として、悪しきものの形容詞にされてきた。しかし、歴史学的に検証すれば、正しい評価といえるのだろうか?十三世紀、蒙古軍の侵略をはね返した日本、西欧、エジプトでは、いず
ちょっと難しい。 ★★★★☆
近代国家成立の端緒を知ることができる。歴史書と思いきや、さもあらず。多くが過去の封建制度論争についやされているのは残念
封建制再評価への糸口 ★★★☆☆
モンゴル軍の侵略の阻止や高度資本主義社会の実現は、封建制という下地があったからこそとの本書の指摘は的を射ていると思う。そうしたことを通して、封建制というものがもっと再評価されるべきだとも思う。

しかし、なぜ封建制が、モンゴル軍の侵略を阻止したのか、高度資本主義社会に至ったのか、と言った分析が本書でなされていない。この点に不満を感じたので★3つ。
地味な題名で損している ★★★★★
モンゴルの侵攻を食い止めた3例(鎌倉幕府・マムルーク朝・神聖ローマ)が封建制を採っていたことを挙げ、封建制がもたらす軍事システムの優位性から論を起こし、明治維新後目の敵にされた封建制が、日清戦争の頃から再評価されはじめてからの議論を縷々紹介する。
この中で面白かったのは、大正2年から3年間の洋行で”パリ日本人村の村長”といわれた島崎藤村の述懐である。
「あれほど労働者を卑しむ心持は僕らにはみられない」「下等な英吉利人にはつくづく厭になった」
藤村は、彼我の文明の価値観が全く異なることに気付き、日本が植民地化されなかったのは封建制度のおかげだと確信する。
ほかに、元左翼のウィットフォーゲルが紆余変遷の末辿り着いた、封建制は私有財産制の源流をなす社会システムで、近代産業資本主義の母体となった、という説に、左派が支配する日本の歴史学会はえらく冷淡だったとか、なるほどという話が多かった。
大和朝廷の公地公民制も、軍事的封建制の一形態と考えられないか ★★★☆☆
最近、この手の封建制論というのは、根本的に間違っているのではないかという疑問を持つようになった。
封建制論の問題意識とは、典型的にライシャワー博士のような、近代ヨーロッパをもたらした何ものかが、封建制という社会組織(フューダリズム)にあるという論理だが、封建制を特徴づける3つの要素、1.職業戦士による従士制、2.従士に分与される封土制、3.封土における地主制、の三位一体が、中国史では、政権の秩序維持能力が崩れると必ず現れ、強固な中央集権が樹立されると消えるという繰返しだったし、江戸幕府の領邦君主(大名)制も、その実、ビザンティン帝国の軍事組織と、政治的にも社会的、経済的にも類似する点が少なくない。
封建制は、要するに産業資本主義化以前の社会では、商業資本と軍隊を含む官僚制のネットワークによる国家行政の管理能力が、強固な中央政権を成立させるのに必要十分な水準の高みから、秩序が崩壊し低いところへ転落する過程で、あるいは逆に、組織化の低いところから高い体制へと上昇する徒爾に、過渡的に現れる社会形態であって、それ以上でも以下でもないのではないかという疑問だ。
日本の鎌倉幕府、ホーリーローマン、マムルーク朝の封建騎士団だけがモンゴル軍の攻撃を退けた(著者はインド侵攻を見落としている)というが、モンゴルの軍事組織も封建制的色彩が濃いところへ持ってきて、3つのケースとも、モンゴル側の視点から見ると、辺境的にすぎない存在への行きがけの駄賃的な攻撃であって、クビライの南宋攻略戦のごとく本腰を入れて10〜20年をかけた攻勢ではなく、日本の場合も、最後のところは大元ウルス内部の反乱発生で侵攻再起を諦めたところが大きい。
むしろ、このような過渡的体制である封建制が、西欧や日本のようなユーラシア大陸の辺境地域で、なにゆえ長期政権化してしまうのかに注目すべきではないか。
西欧の近代化に一つの仮説を立てるとするなら、政治的統合の失敗による分権割拠・集合離散が、適度な軍事的緊張をもたらし、政権中枢をして太平楽に構えている余裕を許さなくなった不安定さが、社会・経済・政治に様々の意味で活気を呼び起して、次の近代化(軍事的強大化)時代に成功を導き出したとはいえまいか。とくに、プロテスタントとカソリックの分裂抗争が、印刷術普及と相俟って知性の解放を呼び覚まし、デカルトやニュートンの理知、ワットやスティヴンソンの技術を生み出したことに注目したいと思う。
近頃、本書が紹介している「大隈重信」氏の「着眼」のようなのは、全体としては支離滅裂なようで、案外と一部では本質的なところを衝いているのではないかと思うようになった。
しょせんPHP ★★☆☆☆
 1942年に生まれ、大蔵省、経済企画庁に勤めた日本中世政治史の研究者(都留文科大学学長)が、邦訳史料と牧健二、恩師上横手雅敬の研究をもとに2008年に刊行した本。本書の内容を列挙すれば、第一に封建制を「態と明確には」定義せず、「土地を媒介とする人的主従関係というほどにとどめて」考え、その上で日本中世の封建制(戦国時代を挟んで変化が見られるとしつつ)と、西欧中世のそれとに共通点が多く見られるとしていること、第二に「多数中心的で、私有財産に基礎をおく産業社会を生み出したのは、封建的秩序である」としたウィットフォーゲルのテーゼを基本的に正しい見方であるとし、主君と家臣の双務的関係ゆえの家臣の抵抗権(合議体、主君押し込め)を重視していること、第三にモンゴル軍を撃退した日本、神聖ローマ帝国、マムルーク軍団は全て封建制を採用していたことを強調し、そのためだけに第一章を割いていること、第四に日本の封建制概念に、儒教的、法制史的、唯物史観的の三種の意味が混用されていることを正当に指摘しつつ、本書の大部分を封建制に関する近代以降の内外の思想家の言説の整理・紹介に費やし、とりわけ福田徳三、島崎藤村、ウィットフォーゲル、梅棹忠夫、ヒンツェ、堀米庸三を高く評価していること、第五に戦後歴史学をその政治性ゆえに断罪し、その反動で戦前の歴史学を評価する傾向が強く、しかも封建制と近代の関係よりは、封建制に肯定的かどうか、あるいは日欧の並行性を指摘するかどうかを重視する傾向が強いこと、第六に結局思想家の人生の紹介と思想史の整理に終わり、封建制と近代との関係を実証的に検討した本ではないこと、である。PHPの愛読者には楽しい読み物かもしれないが、私には物足りなさしか感じない本であった。