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ダットレーヤによるアヴァドゥータ・ギーター

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カテゴリ: Kindle版
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序文より

 アヴァドゥータ・ギーターは究極のアドヴァイタ、あるいは究極の不二一元論を表現した書である。この書は、神の化身と仰がれたダットレーヤ(アトリアの息子)の書だと言われている。残念ながら、ダットレーヤがいつどこで生まれ、何歳まで生きたのか、どのようにしてこの書の表現されたような知識に到達したのかなどを示す歴史的データはない。プラーナ(神話)の中に彼に言及したものが少しあり、その中でマラカンデヤはかなり詳しく彼について記述しているが、これさえも伝説的なもので、本当のところはよく分かっていないのである。
 マラカンデヤ・プラーナはダットレーヤの生涯について次のように語っている。彼は非常に高い霊性を持ったアトリアとアナスーヤーという両親のもとに生まれた。若いころは並ぶ者のない武者として名をとどろかせたが、程なく世を捨ててヨーガの修行に没頭し、最高の自由の境地に達してアヴァドゥータとなったということである。
 アヴァドゥータとは、すべての世俗の執着や恐れを振り捨て超越して、神の存在と同じ霊的境地に至った自由な魂のことを言う。アヴァドゥータという言葉には当然放棄の意味があるが、それよりもさらに高い境地が含まれている。それは、執着の状態でも無執着の状態でもない。その二つを超えた境地である。アヴァドゥータは、世間一般のしきたりや、宗教上の儀礼などにしばられない。彼は何も求めない。何も避けない。彼は悟りにも無明にもこだわらない。自分が無限の存在であるとはっきりと理解し、その生き生きとした自覚を生きているのである。ヒンドゥの心にとって、ダットレーヤはこのような自覚を象徴する人間なのだ。アヴァドゥータ・ギーターを書いたのが誰であったにせよ、それは最高の霊的理解を身につけた人であったに違いない。
 アヴァドゥータ・ギーターはたった八章から成る小さな本で、簡潔にして魅惑的なサンスクリット語の韻文で書かれている。それは、ブラフマンを身近に経験した者の持つ高い霊的な息吹に満ちている。存在するすべてのものは一つである。この本は、それについて哲学的議論をしない。ただ、驚愕すべき言葉をもって、真理を求める人びとの心を迷いから覚まさせ、知識の、目も眩くらむような光へと導くのみである。
 アドヴァイタ・ヴェーダーンタの信奉者たちはこのギーターを高く評価し、大切にしてきた。人類の歴史上最も偉大なアドヴァイタの実践者であったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダは良くこの書を引用している。彼はこのように言う、「この歌を書いた人たちが宗教に生命を与え続けるのである。彼らは真理をその身に実現した。彼らは肉体に何が起ころうとも煩わされず、暑さも、寒さも、危険も気にならない。彼らはアートマンの至福のただ中に毅然としてすわっている。たとえ灼熱の石炭に身を焼かれても感じはしない」と。
 この英語版の訳は、最初は一九四六年にカリフォルニア・ヴェーダーンタ協会の雑誌「インドの声」に部分的に出されたものである。ラーマクリシュナ僧団の長老僧だった篤学(とくがく)の翻訳者、スワーミー・アショカーナンダは、プラブッダ・バーラタ誌の編集者として一九二六年から一九三一年まで仕事をし、一九三二年から一九六九年の一二月に死去するまで北カリフォルニア・ヴェーダーンタ協会の長であった。

目次

第一章 真我(アートマン)の知識
第二章 真我の知識 アヴァドゥータ語る
第三章 真我の知識
第四章 真我の確立
第五章 平等観・普遍・無関心
第六章 自由。カルティカへの教え
第七章 真我の知識、カルティカへの教え
第八章 真我の知識