神を求めて: 偉大なヨーギー、スワーミー・トゥリーヤーナンダの生涯
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「原書の序文」より
(マドラス〔現チェンナイ〕のラーマクリシュナ僧院長による)
この書物がその生涯と教えとを伝えているスワーミー・トゥリーヤーナンダは、シュリー・ラーマクリシュナの直弟子であった。スワーミーはこの偉大な師の生涯の最後の六年間彼に師事し、後に、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの指揮のもとに師の名をつけて出発した小僧団の、重要なメンバーとなったのである。
スワーミー・トゥリーヤーナンダは極度の禁欲主義者であり、人類への同悲の情、信仰の情熱、サンスクリットの学識、および現代的見識をまれに見る形で兼ねそなえた人であった。瞑想は彼にとっては気ばらしであって、肉体の苦しみや病気が心に影響を与える、などということはなかった。その確固たる神への帰依の精神は、健康がすぐれず環境が厳しいときでさえ、彼をして遍歴の乞食僧の生活に耐えさせた。彼は、肉体を持ってはいるが肉体には支配されない、という人間の一個の実例であった。大学者でありながら学識を人に示さず、つねに、説教よりむしろ自ら範を示すことによって、人に教えた。神が彼の人生の唯一の関心事、そこには、野心的な私的価値の追求など、入り込む余地はなかった。彼の一生は寂しい森の中の隠遁所における一つの長く続いた瞑想であって、その間に、兄弟僧にまじっての団体生活の期間がいくつか点在していた、と言ってよかろう。放浪生活への愛着にもかかわらず、彼らとの接触は決して失わなかったのである。
瞑想と苦行を愛しこれに没頭していた彼が、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダに説得されて合衆国で約三年間の活動的な布教生活を送った事実をよく考えると、それは注目すべきことである。彼の叡知は、このようにして東洋と西洋にある最善のものを知ることによって充実し、完璧となったのである。彼は大衆の前での演説者ではなかったが座談の名人であり、東洋でも西洋でも、彼と接触した多くの求道者の生活に影響を与えた。
スワーミー・リタジャーナンダによるこの書物には、偉大なスワーミーの生涯と教えとを非常な努力をもって研究した結果集められた、会話および弟子たちの日記の抜粋が載っている。インドの霊的資産へのスワーミー・トゥリーヤーナンダの最大の貢献は、彼の汚れなき生涯である。霊性の価値を尊ぶすべての人は、この書物によってそれを具体的な、まとまった形で示したスワーミー・リタジャーナンダに、深く感謝するであろう。