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アメリカ (角川文庫)

価格: ¥740
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川書店
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不条理さ。 ★★★★★
 ラース・フォン・トリアー監督は一度も行ったこともないくせに、アメリカ三部作なる映画を撮っています。カフカも一度も行ったこともないアメリカを舞台に、この小説を書きました。不条理です。その土台からしてすでに不条理なのです。
 カフカの文章は、普通に読んでいると絶対にどこかでつまづきます。船内の様子を描写しているあいだに主人公の少年が寝てしまっていたり、視点がべつのところに行っているあいだに見えていないあいだに何かがすでに起こっています。カフカの小説を読んでいると、私たちは大事なところをすっぽかされたような気分になり、唖然としてしまうのです。
 少年は目的を持ちません。てっていして流れていきます。カフカがいつもテーマにしている「仕事」、「孤独」、そしてカフカ的描写がふんだんに盛りこまれています。ほかの長編ふたつ、主人公は徹底して孤独になっていきます。常に他人と話があわず、誤解が生まれほうりだされてしまいます。アメリカでは、けれど希望が残されます。
 小説=物語ではありません。カフカは不条理な小説を書いています。その不条理さは不条理な物語から来ているのではないと思います。私たちは不条理な小説を書きたいと思ったなら、不条理な物語ではなく不条理な文章を書かなければいけないのです……。
新天地への夢と希望 ★★★★☆
主人公の少年が船着場で働く冒頭の部分は「火夫」という名の短編で発表され、さる賞を受賞した。本作はそれを長編化したもので、寓話性の高い物語が特徴のカフカとしては(表面上)ストレートなストーリー展開となっている。

少年はその後、アメリカ行きの船に乗り、到着後アメリカ放浪の旅に出るのだが、素直に読めば少年の精神的成長物語である。しかし、本作が書かれた時期を考えれば、戦争の暗雲立ち込めるヨーロッパに希望を見出せない作者が、新天地アメリカに夢と希望を託したものと考えられるだろう。

第1次世界大戦を背景に、自身が属するヨーロッパとアメリカとを対比させ、新天地に希望を見出そうとした苦渋の作品。
未来へ開かれたエンディング ★★★★★
話は両親によって本国から追い出されたカール・ロスマン氏の新天地アメリカ放浪記ですが、ロスマンはトラブルを起こして次々に新たな目的地を目指します。
第一章の火夫が短篇集にも収録されていることから分る通り、それぞれの章が自己完結しているので、分量の割には長さを感じさせない構成になっています。
未完のせいもあって、最後の第八章がちょっと浮いてる感じもしますが、却って未来への出発っぽくてフィットしています。カフカの作品にしては、比較的ポジティブだと思いました。
カフカ版コパフィールド ★★★★★
カフカってえゆーと「不条理」なんですが、そーゆー意味ではこれは異色ですな。
ただ私はこれがカフカの作品の中で最も好きです。これはいわゆる「教養小説」的ジャンルで(ディケンズ>カフカ)一人の若者の放浪記ですが、この若者はディケンズ的には決して成長せずに環境の激変にメランコリーしてゆくのみ。ただこれが泣かせるんだよねえ。ラストの旅一座に加わり昔の女友達??に再会して出発するところなぞホントなぜか胸キュンもの。未完であるがこのラストで良い!
カフカエスクな要素の薄まった作品 ★★★☆☆
家政婦と通じ、子供まで産ませてしまったカール・ロスマン少年は、両親に厄介払いされ、故国ドイツを離れてアメリカに渡った。裕福な議員の伯父の家に身を寄せたのもつかの間、不可解な理由でまた追い出され、カール少年はアメリカを放浪する……。

カフカにとって宿命の女性、フェリーツェ・バウアーとの関係がはじまった1912年夏ころから書かれはじめ、1914年までに書き上げられたようです。恋愛生活がうまく行っていた時期に書かれたためか、圧倒的な抑圧の雰囲気はなく、不条理さやいわゆるカフカエスクな要素は薄まっています。その分、主人公の生活感のなさが際立ち、徹頭徹尾まわりに流されるそのスタイルは、小説のなかの人物ながら、見ていてイライラするくらいです。

カフカによるロスマン少年の主体性のなさの描写は、反面教師としてなのか、もしくは、そうした人間的弱さに注目した結果なのか。いずれにしても、そのロスマン少年の視点を通じて、アメリカの生き馬の目を抜くような競争、エゴイズム、力こそ正義というルール、言った物勝ちの無法性を、カフカ自身がアメリカに実際に渡ることなく喝破していることは特筆に値します。また、主人公の孤立無援な雰囲気は良く出ています。

しかし、ややもすると問題の所在を自己の内部に見ようとせず、外部からの圧力とだけ見る点に、カフカの限界をも感じました。自分が自分の状況を変えられるのだ、いや自分しか変えるものはいないのだ、という確信はなく、そこには自信のなさと他者に救いを求める甘さが見え隠れします。圧倒的な不条理に責めたてられる設定になっていない分、カフカの人間的弱さみたいなものが表出してしまっているのは皮肉です。