不条理大陸「アメリカ」の失踪者
★★★★☆
旧角川文庫から出版されていた『アメリカ』とこの『失踪者』を読み比べてみて……
カフカ作品は実に特有の不条理にて始まるのだが、本作でも「変身する」するように、「訴えられる」ように、アメリカにある意味「追放される」。そこは何の地図もない土地だ。『アメリカ』/『失踪者』を読んでみてまず感じることは、作者フランツ・カフカ自身、「アメリカ」という土地を全く知らなかったのではないか、ということだ。
『失踪者』はその未知の大陸で、主人公カール・ロスマンがすったもんだの末(←稚拙な表現で失礼)、失踪し、物語(ないしはアンチ物語)はその中心を失って、漁網がほどけていってしまうかのごとく、終わる。
話の大筋をいってしまえば、カフカ特有の不条理。
だが、『失踪者』においては『審判』『城』といった作品に比べ、幾分、諧謔味があるといえよう。
それがこの著書の楽しみではないか? ただ単に不条理なだけではなく、それが滑稽な・不器用な人間味として描かれている。
カフカの他の長編より、むしろ短篇のテイストに近いのではないかと私は思う。
故に『審判』『城』『変身』に「現代人間が抱え持つ悲運な運命」といったお堅い(←失礼)ものを見出し、本書を読むと、やや肩すかしを受けるのではないか、と思われる。
が、ある種、新鮮なカフカ像(と、その作品像)をここにみることも可能ではないだろうか。
ざらついた現実を描いた冒険譚
★★★★★
以前、角川文庫などで『アメリカ』として知られたものの作者手稿による新訳。面白い。
いきなり「女中に誘惑され」、その女中に子供が出来たために、アメリカに旅立って自由の女神像を拝む冒頭から、下船する間際に上院議員の伯父に出会い、上流生活からアメリカ生活をスタート。しかし、急転直下、その伯父の気分を損ね風来坊に落魄れ、エレベーター・ボーイの職を得る展開が、お話としても面白く、そのくせ淡々としたカウリスマキの映画を観ているようだ。しかも、カフカには珍しくニューヨークやその郊外の匂いまで漂ってくる。
死後の焼却を願っていた作者にしてみれば、全ての長編が習作だったのだから、本作品などは習作も習作、ひょっとするとカフカのものとわからなければ、今日の出版すら覚束ないものかもしれない。しかし、不条理などといった手垢にまみれた言葉ではなく、まさにリアルな手触り、「他者」の気配がムンムンする。原田義人訳の『アメリカ』よりも、池内訳は全体的に緩い。それが、独特な雰囲気を醸し出していると、ドイツ語を解さない評者は勝手な感想を抱いた。
池内紀訳では、カネッティの『眩暈』が秀逸であった。勿論、これは原作の素晴らしさだろう。私見では『眩暈』はカフカの『城』を超える世界文学である。