パレスティナ人の肉声
★★★★★
中東の歴史や事件は、知ろうと思えば様々な媒体で知識は得られるが、極東の日本では普通に暮らしている現地の人々の生の声、とりわけパレスティナ側の肉声を耳にする機会はあまり多くない。その意味でも貴重な1冊と言える。
5つの短編と2つの中編から成る本作品は、巻頭「太陽の男たち」の冒頭から比較的我々日本人の慣れ親しんだ日本やロシア、欧米の作品とは違う事に気づく。
「燦燦と輝く陽光に空は青味を失い、たった一羽の黒い鳥があてもなく空の高みを舞っていた」――。我々の世界では「燦燦と輝く太陽」は「青い空と白い雲」と結びついて豊かさや恵みの象徴のように思われるが、中東の人々にとっては全てを焼き尽くす「燦燦と輝く太陽」は「過酷」な中東の自然そのものであり、置かれた社会状況の表現でもあるようだ。
その後もたたみ掛けるような自然描写と、そこに暮らすしかない人々のしたたかな生き方、同胞すら騙し、掠め取り、時には死にまで追いやり追いやられる過酷な日常。「やられるほうが弱いのだ」と、灼熱の太陽の無言の光に人々の生の日常が絡み合う。
そして、そのような過酷な自然の中で生きるしかない人々の日常のどこにでもある悲劇を、G.カナファーニーはいろいろな角度、題材から描写する。
「彼岸へ」では、難民生活の中で生まれた子供達、難民の状況しか知らない子供達のしたたかさを描き、「ハイファに戻って」ではこの争いに人生を翻弄されたパレスティナ人の両親と、戦争孤児としてイスラエル人の元で育てられた息子との悲劇的な再会を通して、救いのない嘆きの声が聞こえる。
因みに、パレスティナ人にとっての「ハイファ」は我々日本人にとっての「広島」であり「沖縄」であり、象徴的な響きをもって語られるのであろう事が、読後に更に重みを増す。
また、最後の「解説」に紹介されたパレスティナ難民の穏やかな語り口の手記が、これらの作品の真実の重みを静かに裏付けている。
是非最後の一文まで読んでいただきたい作品のひとつ。