アニミズムが流れる日本の世界での位置を再認識
★★★☆☆
世界の文明を造りあげた一神教は優れており,アニミズム/多神教は劣っている,という従来の認識は間違っている,特にキリスト教原理主義ともいえる「神」への盲信が世界を破壊している,と著者は語る.昨今の世界情勢の下では,そりゃそうだ...と,多くの日本人は思えるだろう.確かに,何でも神様にしてしまって,いざとなれば神様仏様と唱えてしまう,宗教的にゆるゆるの我々の方がずっと寛容だと思うわけだが,この辺りを実証的,論理的に説いた本.ただし,ときどき力あまってトンデモ理論が登場する.しめ縄は雌雄のヘビの象徴で,ヘビのセックスはとても長いことで知られる,だからアニミズムが広まれば人口は上向く...これってどういう理屈なんだ〜?
第二次大戦で日本はアメリカに敗れた.普通だったら,ここで地下に潜って進駐軍をゲリラ攻撃する輩がいてもおかしくはない.しかし,日本の戦後にそういうことはなかった.何故か? 長年疑問に思っていたのだが,著者によるとこれも日本人の心に「哀しみを抱きしめて生きる」アニミズムが脈々と流れているからだという.まあ確かにその一面はあるかも知れないが,そうかなあ? というわけで,多少ヘンな所に目をつぶれば,世界における日本の位置,今後の役割を考える上でいろいろヒントを与えてくれる良書と思う.
多神教にも闇はある
★★★☆☆
一神教はもともと戦争のための宗教であるから、好戦的であることはわかる。
それは日本の一神教「国家神道」を見てもわかることである。
しかし、多神教やアニミズムが平和主義であるとか、自然を理解しているので環境問題を解決するのに適しているといった飛躍にはなかなかついていけない。
過激なアニミズムというのもあるのだなあと感じた。
アニミズムこそ先端思想である(アニミズム・ルネッサンス)という 視点
★★★★☆
中谷氏の著作(「資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言」)で私が愛読している安田氏の著作が引用されていたので、久々に出してきて読んでみた。
元々、安田氏の著作を読み出したのは、いわゆる環境考古学で、例えば、湖の底の堆積物に含まれる花粉で、気候変動を読み解くという方向性におもしろさを感じたからである。
その時期から見ると、安田氏は随分著作の幅を広げている。本書では、超越的権威である一神教とアニミズムを対比させ、現代の文明の閉塞状況を打ち破ろうという意欲的な作品である。
ユニークではあるが、一部には飛躍があるなぁと感じる部分(「環太平洋アニミズム連合構想」とか)もあり、全体的にバランスが悪い。ただ、一読の価値はあると思う。
まず、文明の定義についての異議が述べられる。
カール・ヤスパースが言うところの「文明」は、超越的秩序としての巨大宗教や哲学を持った「枢軸文明」だけであるとしており、現世的世界は、不完全で劣等で汚れたものであると見なされ、その代表がアニミズムであったという。
超越的秩序の宗教を最初に構築したのは砂漠の民で、彼らの畑作牧畜文明は、森を破壊し耕作地を拡大することで生産性を上げた。
一方、日本人は、純粋の自然でもない、純粋な人里でもない中間の里山を作り出すことによって、(自然と対決するのでなく)自然と人間の間にゆるやかな関係を構築してきた。
この背景には、美しい森と水を守る自然観と世界観、アニミズムの心が根底に存在したからであるという。なお、アニミズムの文明の伝統を色濃く残した国があるが、それはインドであるという。
アニミズムの民が持っていた、森と水の循環系を守り持続的にこの地球で生きる叡智を活用すべきという点には、うさんくさい環境派の主張より示唆に富むように、個人的には感じる。
なお、p.89にある、「一は孤立、二は対立だが、三は調和・和のシンボルである」という言葉には感銘を覚えた。
極めて貴重な示唆に富んだ、でも世迷言(苦笑)
★★★☆☆
極論だらけの本である。大雑把にまとめてしまえば、「ユダヤ・キリスト教のような超越的秩序を求める宗教観が“諸悪の根源”で、多様で現世的な価値観を尊重する“アミニズム”の復権が世界を救う。」というのが、この本の主張だと言って良いと思うのだが、そうした主張の正当性を丁寧に論証していくような内容には乏しく、用語の定義や用法もあいまい、牽強付会やご都合主義、“論理のすり替え”も「てんこ盛り」になっている。
(そもそも、“アミニズム”の特性が「利他」とか「慈悲」とかにあると主張する一方で、それに対峙する存在としての“ユダヤ・キリスト教”“超越的秩序”“一神教”“畑作牧畜文化”に対して徹底的に不寛容で、攻撃的だというのは、自己矛盾ではないのか?笑)
特に前半、他の研究者の文献からの引用や用語の使用が多いので、一見、非常に広範に文献を渉猟し、検討した結果として辿り着いた主張であるように見えるのだが、その引用の方法や用語の使い方は非常に恣意的で、つまりは先人の研究成果の都合の良い部分だけをパッチワークすることで説得力を生み出す、「似非科学」や「トンデモ本」の類と同じ手法を採用しているのである。自然科学の本とは言えないので、「似非科学」と呼ぶのが相応しくないのだとすれば、「似非哲学」とでも呼びたいところか。
ただし、だからと言ってこの本が読む価値のないものかというと、それが違うところが面白いところではある。
例えば「島国性の復権」であるとか、あるいは「水利共同体」に対する再評価であるとか、「アミニズム連合」の提言であるとか、(著者の提言ではないが)「ネイチャーテクノロジー」の考え方とか、この小さな一冊の本の中には、我々の硬直化した思考パターンに衝撃を与える、貴重な視点や重要な示唆が、無数に埋もれている。全体としては全く支離滅裂ながら、ところどころにキラッと光る主張を見つけて、ついつい引き込まれてしまうのは、著者と関係が深い梅原猛(共に国際日本文化研究センターの主要な関係者で、共著作も多い)の著作にも共通する特徴だろうか。「アカデミズムの仮面を被ったジャーナリズム」と言うべきなのかもしれない。
そんなわけで、元々から文明論や宗教論などへのリテラシーが高い人間には、是非一読を勧めたい一冊ではあるのだが、その一方で、そうしたカテゴリーに馴染みのない人間には、決して最初に読ませてはいけない本でもある。この本に書かれていることが全て「事実」もしくは「真実」だと誤認してしまったら、大変な誤りを犯しかねないからだ。
おそらく、この本の中で断定されている、しかし実は仮説に過ぎない沢山の発見や指摘の正当性をひとつひとつ検証して行くことなどは、著者の頭の中には初めからないのだろう。著者は、彼本来の「環境考古学」という分野の研究を続ける中でひらめいた“アイデア”の数々を我々に提示し、我々はその無数の仮説の中からいくつかを選び出し、その真偽を確かめたいと思う者はその真偽を追及すれば良いし、今後の実践の指針として採用したいものがあれば採用すれば良い。そのような素材を集めた素材集として、あるいは道具として、材料として、極めて優れた、「面白い一冊」であると、私は思う。
気持ちはわかるが・・
★★★☆☆
「力と闘争の文明」より「美と慈悲の文明」を、
と言われれば、とくに異論のあろうはずはないし、
環境考古学の立場から、巨視的に文明の盛衰を論じる著者が
現代文明の先行きについて覚える危惧にも共感できるのだが、
しょせん、「畑作牧畜文明=悪、稲作漁撈文明=善」
という二項対立で全てを説明し切れるはずもなく、
環境考古学を離れて政治的主張を開陳する段になると、
やや根拠が薄弱で粗雑な論の展開が目につき、
一般向けの著書とはいえ、ツッコミどころ満載である。
あくまで「学問的」であることに固執する学者には、
こういう一種の「トンデモ本」は書けないだろうし、
専門である環境考古学に安住することなく、
国際戦略上の提言を積極的に行なったりするあたりが
この著者の魅力でもあるのだろうが、
狭義の「学問」から大胆に踏み出したかに見える部分が、
梅原猛ばりに「幻視」の成果だったりするのはやはり困るし、
何よりも、冒頭からいささか調子の高過ぎる文章が、
「美と慈悲」を感じさせるものとは言い難いのが、
基本的な内容には共感できるだけに、いかにも残念だった。
★追記……本書pp.60-61では、
地球を救済するために「アニミズムの罠」
を仕掛けるべきだとされ、その具体例として、
・美と慈悲に満ち溢れた「生命文明の構築」
・アニミズムによる「島国性の再評価」
・アニミズムによる「女性原理の復権」
・アニミズムによる「紛争の回避」
・アニミズムによる「アニミズム的応戦」
・「アニミズム連合」の構築
・「全球アニミズム化運動」の展開
・アニミズムの心を核にした「ハイテク・アニミズム国家」の構築
の八つが列挙されているのだが、
こう並べられると字面が凄過ぎて、ややウケてしまった(笑)
とくに、アニミズムによる「アニミズム的応戦」、というのが勇ましい。