いろいろな意味で戦前の昭和史を記述するのは難しい。そもそもなぜ、当時の日本はあれほど対外戦争に明け暮れたのか?それをまたどうして、当時の日本人は右も左も関係なく翼賛していくことになったのか?
この疑問に応答するために、「軍刀をガチャつかせた横暴な軍部に無知無力な大衆は引きずられたのだ」といった、現代にあってなお多くの人が漠然と抱くイメージに著者はほとんど頼ろうとしない。
著者の提示する回答のひとつは、ある意味拍子抜けするものだ。当時は「誰も戦争が愚かだとも悪だとも思っていなかったからである」p8。
さらに重要なのは、当時の対外戦争が要求する総動員体制(合理化・組織化)の波が、マルクス主義を潜り抜けた日本人に「後進的・封建的な」日本社会を一気に高みへと引き上げる逆転ホームランだと観念されることとなった、という指摘だろう。
資本主義の没落・革新の光明・近代の超克といった諸々の概念がリアリティを持って知識人や官僚に訴えかけていた、そんな時代だった。
マルクス主義とナショナリズムとの親和性、戦時体制とモダニズム・・現代人から見れば不合理で不可解でしかない昭和戦前期という「外国」への「方法論的帰化」を試みてみたい、と言う著者の提示する視角は既成観念から自由であり、スリリングでさえある。やけに醒めた文体も印象的だ。前述の北岡本と一緒に読んでおきたい一冊。