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日本の歴史 25巻

価格: ¥2,310
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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   第00巻『「日本」とは何か』(網野善彦)を嚆矢とする「日本の歴史」シリーズの最終巻である。冒頭で、代表執筆者の比屋根照夫は、日本の「これから」を考えるとはどういうことかと問い、それは取りも直さず「日本とは何か」を考え直すことである、と答えている。つまり、第00巻で網野が提起したように、「『日本』そのものをフィクション=神話ととらえ、それを解体し、混成社会・国家とみなす」ことであるという。

   では、日本人が実体として信じてきた「日本」とは何であったか。比屋根によれば「多民族の共生・共存をめざす社会とは正反対に、単一民族史観による他者排斥・抑圧・侵略をくりかえしてきた」国家であり、そういう「自閉的・独善的な日本」の姿は「周辺部・マイノリティ・被抑圧民族の視点から歴史を見ることにより、いっそう鮮明になる」のである。

   本書が、琉球、アイヌ、朝鮮民族といったマイノリティーないしは「被抑圧民族」と、その対極にある「象徴天皇制」との関係に焦点をあてているのは、まさにそのためであろう。その意味で本書は、古代において「日本」は存在せず、あったのは大和王権と「まつろわぬもの」として抑圧された周辺部の「反逆者」であった、とする網野史観の近代版ということができる。

   これを「植民地朝鮮」との関係で見ているのが、第2章「日本のアジア観の転換に向けて」(姜尚中=カン・サンジュン)である。姜は朝鮮を「野蛮」視してきた近代日本の「心象地理」は一朝一夕にできたものではなく、日本書紀にその淵源があるとし、この「記号論的常套句」から脱却して「民族感情の悪循環」を断つことによってはじめて「開かれた地域主義としての東アジア」が構想されると説く。そして「戦後の一国史的な歴史像の限界を超えて、地域協力体のなかで新たなアイデンティティーを発見していく」ことを提言するのだが、いったい「地域協力体」としての東アジアとは何なのか。韓国の歴史は日本を「野蛮」、韓国を「文明」としてとらえているが、これは「記号論的常套句」ではないのか。比屋根のいう「他者排斥・抑圧・侵略をくりかえしてきた」近代日本という言説は、「歴史の鏡に照らして」という江沢民の常套句を連想させるが、その中国はチベットと新彊ウイグルで少数民族をどのように扱っているか。東アジアの今日的現実の中で「日本のゆくえ」を論じてほしい、という思いが残るのである。(伊藤延司)