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つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

価格: ¥1,008
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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著者の仕事ぶりに脱帽です。 ★★★★★
「17世紀の初めから中頃までに、八条宮初代智仁親王と二代智忠親王によって造られたもので、日本庭園として最高の名園といわれています。」

宮内庁のホームページではこのように桂離宮は紹介されています。
本書にも書いてありますが、桂離宮を参観するためには手続きが非常にめんどくさく、そのせいもあって初めて参観したときはめちゃくちゃ期待して行きました。あらゆるところで絶賛されているし。
でも感想は「アレ?こんなもんなのかな・・・」ぐらいのものでした。
その後もう一度参観する機会がありましたが、そのときも似たような感想です。でも皆良いって言ってるし、自分は日本庭園の良さがわからない人間なのかと思ってました(笑)

なので、まえがきで著者がいきなり「私には桂離宮の良さがよくわからない」と正直に書いているのを読んでとても嬉しくなりました(もちろん評者は建築の素人なので、著者と同じ感想でも単純に嬉しがっていてはいけないのですが笑)。

ところが著者は、桂離宮の印象を聞かれたときに、内心では少しも感心していなかったのに褒めてしまったらしい。
虚栄心から、桂離宮の美しさをわからないような人間だとは思われたくなくてありもしない感動を捏造したそうです。

本書は桂離宮が実際に美しいかどうかというよりも、美しいと思えない人達にまで「美しいと思わないといけない(そうでなければ審美眼を疑われる)」と思わせる桂離宮の「権力」の原因、桂離宮を神格化させた背景を探るものです。桂離宮の美しさを否定するものでは決してありません。
その仕事ぶりは本当に尊敬できます。素晴らしい・・・桂離宮を参観したときよりも感動しました(笑)

このような内容の本を出したことによって、建築史学会等からかなりの反発を受けたことがあとがきに書いてありますが(例えば「桂離宮がわからないようなやつに、建築史を研究する資格なんかない」と言われたとか)、このあとがきだけでも相当面白いです!!「学術とは何か」について語っているところなんてカッコ良過ぎ(笑)

桂離宮に行ったことがない人や名前を知らない人でも、この丁寧な仕事ぶりを楽しめるかと思います。
が、やっぱり桂離宮に興味がある人好きな人、そして著者のようにこれだけ素晴らしいと言われている桂離宮にイマイチ感動できなかった人が一番本書を楽しめるのではないでしょうか。
ちょっと長い ★★★★☆
誰もが賞賛するものが自分にはピンとこない、っていうことは誰にでも多少は経験があると思います。著者はやはり誰もが手放しで褒めちぎる桂離宮に対して感銘を受けなかったことをきっかけとして果たしてこの建築物がどのように賞賛を得ていったのか、丁寧に文献をたどって行きます。そこは非常に丁寧なので、論文を読んでいるような、逆に言えばちょっと気楽に読めるわけでない箇所もあります。

日本人の西洋人に対するコンプレックスや、観光文化との関連などいろいろな要素が絡んで桂離宮の評価に影響していったことは大変興味深く、非常に意義のある著書であると思います。

本書が建築史学会から黙殺された経緯を文庫版あとがきに書いてありますが、これがまたオモシロイ!
桂離宮の美学的受容史を問い直す ★★★★☆
おもしろくて、いっきに読んだ。親本の刊行時に建築史学会からことごとく無視されたという、文庫版のためのあとがきも傑作。
学会なんてのはそんなものです。
ぼくの友人は民俗学の論文が「高卒だから」と学会に受け入れられなかったのに端を発して、40代でとうとう東大大学院を出て、今は大学教授に。

ちなみにぼくが日光東照宮を訪ねたのは、この本もブルーノ・タウトも知る前だったが、「われわれ日本人の感性には合わないのではないか」という疑問を抱いた。少なくともぼくとぼくの友人たちは「二度と見たくないね」と意見が一致した。

桂離宮参観は事前申込制だ。なかなか抽選に当たらないので、参観の機会を得ていない。
「とんぼの本」の写真集でみるかぎり、素晴らしいの一言に尽きるが、実際に目にしないうちは保留としておくのが正しい姿勢だろう。
桂離宮の数奇な運命をたどる ★★★★★
この著者の井上章一さんは、前にラブホテルという性愛空間が戦後日本においていかにして構築されたか、その言説を追った『愛の空間 (角川選書)』という本を読んだことがある。綿密で禁欲的な言説史の研究は、ラブホテルという軽い題材でありながらも、読ませるものであった。
その研究スタイルは本書でも健在。この本は、桂離宮という立派な古典建築を扱いながらも、建築という専門分野にはとどまらない。本書のテーマは桂離宮ではなく、桂離宮という建築の美的評価にまつわる「ディスクール」である。
ディスクール(言説)とは、複数の解釈が重ねられていく内に、それが現実に先行していくという現象を指す。人間誰しもが時に陥る、偏見や作為的なものの見方。それが積もり積もって、一つの確固とした現実として縁取られていく、その過程を本書は描く。

高評価に含まれる一種の偏見を解きほぐしているため、一見この本は桂離宮という建築物を愚弄しているようにも受け取られかねない。筆者自身もあとがきでそのことに触れ、真っ先に否定している。
たしかに、言説によってその学術的、美的評価が増殖してはいるのかもしれない。しかしどちらにしろ、戦後から拝観の制限がゆるくなり、一般大衆にとっての京都の一大観光名所として桂離宮が盛況したというのは「事実」であり、さらに簡素な構造をモダニストの建築家にもてはやされる一方で、新御殿やその他の装飾的な部分をポストモダニストやその他の建築家によって評価されたということもまた、覆しがたい「事実」なのである。
同じ建物であるのに、そのように全く両極端の陣営から評価されること。桂離宮には、まるで女性でいうところの「コケットリー」(媚態)のような妖艶でミステリアスな魅力が備わっているようである。
まだ写真でしか見たことないけど。
情報あふれる現在こそ必読の名著 ★★★★★
桂離宮を巡るイメージや言説の拘束性の変遷について
丁寧な文献考証で明快に論じられている。
桂離宮はひとつの題材であって、ここで論じられている
ことは、通念やイメージが流布することについての
優れた考察である。
小難しく言えば「事実認識の価値拘束性」や「歴史の
仮構性」フーコー的「権力」の問題ということになろ
うけど、要はいかにわれわれが物を見る眼が不自由で
歪んでいるか、そのことにいかに自覚的になれるか、
実際の事例をとおして考証しているということだ。
概念的な議論でなく、実際桂離宮を巡る神話を解体して
みせることで、優れて分かりやすい論考になっている。
そういう意味では、建築だけにかかわらず、何かを語る
ものはかならず読んでおくべき必読書でしょう。