正午さんの本はどちらかというと小説よりエッセイのほうが好きです。
大きな出来事など起こらない何気ない日常が心地よく、安心して読むことができます。
ピリッと辛い独特のユーモアも相変わらず健在(笑)
平凡な毎日の中からでも何かを選び出し、面白く、興味深く描くことができるのはさすが作家の技ですね。
しかし、構成がどうも読みにくい。
古いものから新しいものまでさまざまな文章があるわけですが、
それが年代ごとに構成されているわけではなくバラバラに並べられているのです。
つまり、一編ごとに正午さんが30代になったり40代になったり・・・。
これはどうにかならなかったのか惜しいですね。
「十七歳」「叔父さんの恋」という2本の小説も古さもあり、いまいちインパクト不足。
特に「叔父さんの恋」はヘンに気障なのが気になりました。
以上のこともあり残念ですが、
この本は前の2冊のエッセイ集に比べると落ちるような印象を受けました。
著者は巻頭の「転居」でいみじくもこう綴ります。
「生きることの大半は繰り返しである。」
その昨日と変わらぬ今日の中に、それでも著者はわずかな変化を嗅ぎ取ります。かつて20代だった駆け出しの作家も40代の中年小説家になった今、その歳月の積み重ねこそが可能にする力で変化を切り出し、そこに意味を見出して読者に提示してみせます。読者は、そして、そうか私が握っている箸や私がたたいているワープロにだって見ようと思えばそんな見方も許されるんだ、と何かひとつ得した気分になれるのです。
ただし、今回は二つの前作エッセイ集に比べると大人しくなっているという印象を持つのですが気のせいでしょうか。前の二冊にはエッセイと銘打ちながら実は完全なフィクションであるような文章がいくつも混じっていて、虚実ないまぜの幻惑的な一冊になっていましたが、今回は読者に対するそんな挑戦的な試みが見られないのです。その点が少々肩透かしを食らった感じが残りました。
いや、ひょっとしたらあれは架空の人物ではないでしょうか。ほら、高校時代の同級生で佐世保市内で喫茶店を経営しているというあの女性。幾度か本書の中に登場する人物ですが、彼女も小説家の創造の産物なのではないかな、とふとそんな気がしてしまうのです。そんな深読みを私に強いるほど、前の二作が強烈だったということなのでしょう。