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「古代史」の構造

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カテゴリ: Kindle版
ブランド: 西孝二郎
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【第一章 ヤマトはヤンマ島である】
ヤマトと並ぶ日本国の総称であった秋津島。その秋津=アキツとはトンボのことであるが、トンボには、また、ヤンマという呼び名もある。すなわち、秋津=トンボ=ヤンマである。
そこで、秋津島をヤンマ島と読み換えてみると、「ヤマト」に極めて近い音が出現する。
秋津島=ヤンマ島=ヤマト、である。


【第二章 邪馬壱という国名の意味】
『魏志倭人伝』には、卑弥呼は「千人の婢」を侍らせていた、とある。この千人婢は「千・人・女・卑」という要素に分解できるが、これは、魏という字を分解した「千・人・女・鬼」とほぼ同じである。
両者の違いは「鬼」と「卑」の部分だけだが、その「鬼」と「卑」は極めて近い字面の文字であるから、やはり、「婢千人」=「魏」と言えるのではないか。

また、魏は曹氏が支配した国であることから曹魏とも呼ばれるが、この「曹」という文字を分解すると「曲・日・一」となり、
・曲=邪(同義の文字である)
・日=馬(中国の神話でも日輪を引くのは馬である)
・一=壱(同義の文字である)
となって、ここから「邪馬壱」という国名が浮かび上がってくる(邪馬台ではない!)


【第三章 記紀神世巻と『易経』】
出雲の須賀の須佐之男命からは、易の「需」卦が想起される。というのも、「需」彖伝には「需は須なり」とあるからだ。
しかも、「需」は「雲が天に上る」という象意をもつ卦であるが、この象意は、出雲という地名や、須佐之男が須賀の宮を作った時、その地より雲が立ち上った、という『古事記』の記述、さらには、須佐之男が見つけた天叢雲剣と符合する。

その他、国生み、禊ぎ、天照の岩戸隠れなどの場面も全て、易によって読み解けるものである。


【第四章 歴代天皇と易卦の対応】
『古事記』第十二代の景行天皇条には、小碓命が大碓命を殺してしまうという場面があるが、ここからは、易の「否」卦を想起させられる。というのも、「否」の卦辞には「大往き小来る」(小が隆盛となって大が衰える)とあるからだ。小碓が大碓を殺すという構図は明らかに、この「否」の卦辞と一致している。
しかも、「否」は、『易経』の十二番目の卦である。小碓命が大碓命を殺してしまうのが第十二代天皇の条であることと数字の上でも一致している。

ここから、記紀の歴代の天皇は『易経』の卦と対応関係にあるという可能性が浮上してくる。すなわち、『古事記』第一代から第三十三代までの天皇は、『易経』の一番目から三十三番目までの卦と対応関係にある(あるいは、『日本書紀』の第一代から第四十代までの天皇は、『易経』の一番目から四十番目の卦と対応関係にある)、ということである。そして、このことは容易に裏書された。たとえば、

・『易経』十五番目は「謙」であり、これは文字通り謙遜・謙譲を意味する卦だが、『古事記』第十五代応神の条には、応神の二人の息子が皇位を譲り合うという、まさに謙譲の様子が描かれている。

・『易経』二十一番目の「噬嗑」は、卦辞に「獄を用うるによろし」(刑罰で人を罰するのによい)とあるが、第二十一代天皇の雄略は、やたらと人を罰する天皇として描かれており、まさに「噬嗑」の意に合致している。

・『易経』二十二番目の「賁」は上爻(人体では頭に相当)に「白く賁(かざ)る」とある。
一方、第二十二代天皇の清寧は、生まれたときから白髪であったとされる人物であり、ここには(頭が)白という明確な一致が見られる。

・『易経』二十六番目の「大畜」は、その彖伝に「賢を尚ぶ」(君主が賢者を尊ぶ)とあるが、第二十六代天皇の継体は、再三、賢者を尊ぶ発言をする。

・『易経』三十番目の「離」は火・日・光などを意味する卦だが、第三十代天皇の敏達紀においては、身体から火のような光を発する日羅という人物が主役のような描かれ方をしており、ここにおいても、両者の一致は明白だ。


【第五章・『古事記』の対称構造】
『古事記』歴代天皇巻の前半において、二代から九代、および十三代の成務という全部で九人の天皇については系譜のみの記述にとどまり、物語の記載がない。

一方、『古事記』後半では、二十四代から三十三代までの十人の天皇について、やはり物語の記載がないが、二十四代の仁賢については、双子の兄弟である二十三代の顕宗の条に、いくつもの話があるわけだから、このことをもって、物語の記載がある天皇と見做すことが可能になる。
従って、物語の記載がないのは、第二十五代から第三十三代までの九人の天皇であると解することが可能になる。

すなわち、『古事記』歴代巻の前半と後半においては、まるで対称を示すように、九人の天皇の物語が欠落しているのだ。ただし、その対称は完全ではない。もし、第十三代の成務ではなく、第一代の神武について物語の記載がなかったならば、対称は完全になっていたわけである。

そこで、第一代の神武と第十三代の成務を入れ替えることはできないかという考えが浮かぶ。両者の入れ換えが可能だとしたら、最初の九代と最後の九代がそろって物語を欠く天皇となって、『古事記』の構造は前後で完全な対称を示すこととなる。

(※神武と成務を入れ替えるとは言っても、両者に関する物語や系譜を、そっくりそのまま入れ替えて読むことが可能だ、などと言いたいわけではない。『古事記』という書物の完成形としては、神武が第一代、成務が第十三代であるのだから、両者の物語や系譜は、それぞれの位置にふさわしいものとして、創出されたものであることは間違いがない。ただ、そのような時系列的な完成形とは別に、もう一つ、ある空間的な構図(すなわち対称構造)が『古事記』には織り込まれていて、それが、神武と成務を入れ替えて読むことで浮かび上がって来る仕掛けになっている、というわけである)

神武と成務を入れ替え、神武=第十三代、成務=第一代として読むと、次のようなことが起こってくる。

①このような入れ替えを行うと、成務と同日生まれである蘇我氏の祖・建内宿禰が、『古事記』の最初に位置することになり、また、『古事記』の最後(推古記)は、蘇我馬子死亡という蘇我氏の実質的な終焉を意味するところである、ということから、『古事記』が、蘇我氏が実権を握っていた時代の歴史、という意味合いを持って立ち現われてくることになる。
②しかも、神武と成務の入れ換えを行なうと、成務と推古という、『古事記』の最初と最後に位置する天皇が、いずれも三月十五日の死亡日という共通点で結ばれることになり、先の対称形と合わせて、ますます均整のとれた幾何学的な文様が、『古事記』の表面に浮
かび上がってくる。
③さらに、両端に位置する推古と成務の名前の下一文字は「古・務」だが、易の「蠱」という卦は太玄経の首(しゅ)においては、「務」であるとともに「事」でもあり、ここから、務=蠱=事となって、「古・務」=「古・事」となる。すなわち、『古事記』とは、成務から推古までの歴史を記した書、という意味であることが分かってくる(漢字二文字の諡号が記紀編纂当初からあったという前提での解釈である)。

……など、他にもいろんな意味が浮かび上がってくるのである。


【第六章・「古代史」の中の言葉遊び】
①皇極紀には、蘇我入鹿=イルカが、斑鳩宮を焼く場面があるが、この斑鳩=イカルガは鳥の名前であり、イカルとも読む。すなわち、この場面は、イルカがイカルを焼いた、という構図になっているものだ。
そして、そのイルカは、後に殺されてしまうが、彼が殺されたすぐ後で、皇極天皇は、その位を軽皇子、すなわち、カルイに譲ったのであった。
イカル→イルカ→カルイ……この言葉の転換は、一体、偶然なのだろうか? ここに、アナグラムを利用した言葉遊びが存在していることは明らかではないだろうか。

②百済から弥勒像がもたらされたとき、蘇我馬子は仏法に帰依し、三人の女を尼として、彼女らを崇め尊んだ。さらに、仏殿を造って弥勒像を安置し、そこに三人の尼を招いて、法会の斎食を供したとある。
なぜ、ここで馬子は三人の尼を尊ぶのだろうか? しかも、馬子が三人の尼をもてなす仕方は、まるで、彼女らを弥勒仏と同一視して崇めるといった感じのものである。なぜ、これら三人の尼が弥勒仏と重なり合ってくるのだろうか?

その理由は、弥勒=ミロクが、三つの六と解釈されるというところにあると思われる。『日本書紀』において三つの六という表記があるわけではないが、しかし、この言葉の連想を取り入れると、右の三人の尼の謎が容易に解けるのである。
というのも、易の思想では、男性を意味する陽を九、女性を意味する陰を六で表わすのであるから、三人の女は三つの六=弥勒なのだ。

③天照=アマテラスという言葉は、ゾロアスターにおける善と光の神アフラマズダのアナグラムになっている。すなわち、アフラマズダは、文字の順番を入れ変えると、アフマダラス、またはアマダラスフとなって、アマテラスとほとんど同音になるというわけである。
一方、アフラマズダに敵対するのは、悪神アンラマンユである。天照がアフラマズダに相当するならば、天照と対立した須佐之男がアンラマンユに相当するということになりそうだが、実際、アンラは荒に通じ、荒は「すさ」=須佐である。
天照と須佐之男の対立は、やはり、ゾロアスターのアフラマズダとアンラマンユの関係を取り入れて作られたものという一面もあるのかもしれない。

……などなど。