あしなら、こう作るぞな。
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柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
この句が夏目漱石との、いわば「合作」だったとは、この本を読んで初めて知りました。
当時、松山中学(『坊っちゃん』の舞台)で英語教師をしていた漱石は、結核の養生で里帰りしていた子規と交友を結ぶとともに、彼の主催する句会に参加していたそうです。そして、あるとき、漱石はその句会で、
鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺
という句を作ります。この句に想を得た子規は、養生を終えて帰京する折り立ち寄った奈良で、柿くへばの句を生み出した...。
これを「アイデアの盗用」と言うなかれ、というのが、この本の著書の見方のようです。俳句とは、作る人と読む人との掛け合い、やりとりの中から生まれ出てくるもの、ということなのでしょうか。
「あしなら、こう作るぞな。」
なにやら子規は、柿くへばの句を通じて、漱石にそう言っているような気がしました。意外な発見でした。