【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:蓮池 透 他著 池田 香代子 著 出版社名:かもがわ出版 発行年月:2009年12月 関連キーワード:ラチ 2 サユウ ノ カキネ オ コエル タイワシユウ らち 2 さゆう の かきね お こえる たいわしゆう、 カモガワ シユツパン カモガワシユツパン 1174 かもがわ しゆつぱん かもがわしゆつぱん 1174、 カモガワ シユツパン カモガワシユツパン 1174 かもがわ しゆつぱん かもがわしゆつぱん 1174 第1章 国家という怪物と拉致問題-池田香代子氏との対話(ゆがんだ軌道に乗っていく民主党政権で拉致問題は変わるか?拉致問題と「個人と国家」)第2章 右も左もいっしょになってやればいい-鈴木邦男氏との対話(違和感のなかで「一時帰国」と拉致家族北朝鮮とどう話し合うか)第3章 「拉致」解決への道を探る-森達也氏との対話(硬直状態を何とか打破したい「拉致」の周辺にある北朝鮮の問題北東アジアの危機を救うべき方法
家族の感情、国家の威信、傍人の荷担
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本書を読むまで筆者はご家族関係者には甚だ失礼ながら、それほど関心がなかった。というよりも早く帰ってこれるように国が協力しや有志が援助しているものだとおもっていたが、蓮池さんが家族会からパージされたと聞いて興味を持つこととなった。
個人の意志よりも組織(集団)の論理(心理)が先行してしまうと物事があらぬ方向へ向いていってしまうという、言い方は悪いが好例と言えよう。
個人主義は独善主義にあらず、これを日本人か混同し勘違いを生んでいる。成熟した個人主義者の構成が民主主義なのだ。
個人主義の国へ海外出張へ行った日本人女性が現地の女性と仲良くなろうと手作りの夕食に招待し、好みが合わないと帰られてしまい悲しむという例え話をよく耳にする。
その人(拉致被害者家族)の為になる本質的な協力というのはきっと日本の文化の中では得られない(期待できない)のだろうな、と言うのが本書を読んでの実感だ。見返りを求めたがるボランティア活動もしかりである。なにか前提や形式、世間体というわけのわからないものに阻まれたり、遠慮していたりなどがあり、著者のよう真に本質的な協力を求めてこようとする例は珍しいとおもう。
貧困であるのに生活保護の申請ができなかった(させてもらえなかった)り、国際救援活動隊が海外から着てもお客さま扱いしたりと枚挙にいとまがない。
日本は神道などの影響からか形式主義が根強く、本質的なものより優先してしまうところがある。
「左右の垣根を超える」などは表面的な主義、思想の世界でしかないのでもっと根本部分から考え直さねばならないのではないかとおもった。
今後も対話を進めていってほしい
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拉致―左右の垣根を超えた闘いへに引き続き、著者の主張は明快でうなづける場面が多い。過去の運動で反省すべきところは反省し、こう着状態になった現状の問題点と課題を見つけ、これから政府が取り組むべき課題と展望を見渡す主張が、3人との対談の中でも臆せず活発に述べられています。
拉致された家族を取り戻してほしいと、警察にお願いしていた個人的活動から、ミサイル問題、核問題、歴史問題を巻き込みながら、二国間同士の外交問題から多国間の外交カードに変貌し、世論も大きな反応を見せるようになった。そして、小泉元首相の訪朝によってうまれた日朝平壌宣言後に、5人の帰国は果たしたが、残る拉致被害者に対し、全く目立った動きが取れなくなってしまったのが現在の拉致問題である。このまま経済制裁を続けるだけの路線を貫くのでは、何も進展しないという著者の意見は、その通りだろうと思います。それどころか、強硬派から交渉派に主張を転換した著者を苦々しく思う強硬派の中から、帰国した蓮池薫氏に対して「北朝鮮のスパイだから監視しろ」などという主張が出たという。交渉再開を強固に否定したいがために、帰国した被害者に対しても、そのように敵仕立てにするとは、全くあきれるばかりだが、こういったあからさまな発言ほど、拉致家族を連れ戻す目的から逸脱して、北朝鮮には経済制裁を続ければただそれでよしと満足している者がいることを、象徴する発言はない。手段が目的化してしまっているのだ。この発言は「左右の垣根を超える」ことの大切さを思い知らされる一例である。
あとがきでは、3人の対談者に対して「意外にも…私に対して好意的な意見が多かったと思います。」と書いているが、次に望まれることは、上記のような意見を異にする者、もしくは拉致問題に実際に関わった政治家や外交官との対話集である。実現は難しいかもしれないが、期待しておきたい。
硬直化した拉致問題を打破するためにも……
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蓮池透氏は、2010年3月「家族会」を退会させられた。
理由は、要するに「家族会の考え方と違うことをあちこちで喋っている」
ということである。
もともと「家族会」は、「被害者の集まり」だった。
それが次第に「強者」になっていき、半ば圧力団体のようになっている。
蓮池氏もそう主張するし、私も基本的には同意見だ。
メディアなどで、自分たちの主張と異なる意見を述べた者を告訴したり、
会の主旨に反する意見を述べたメンバーを退会させる。
今回の退会措置など、最たるものだろう。
本書は、蓮池氏が持論を展開した「拉致――左右の垣根を越えた戦いへ」の第二弾。
「対談集」という形をとることで、
多様な意見の中で拉致問題をどう進展させるべきかが見えてくる。
蓮池氏を、サヨ、裏切り者と言う人は多い。しかし2冊を読む限り、
彼の意見はしごくまっとうだ。
むしろ家族会の増元照明氏のブログなどを見ると、
「この人は右翼の活動家か……?」と思ってしまう。
蓮池氏は、政治にも強く意見を言う。
政府は家族会の顔色をうかがい、家族会の意に沿うようなことしかしない。
家族会の意見を無視してでも対策をとることが必要な場合もある――と。
たとえば家族会は「経済制裁」を強く要求している。かなり感情的だ。
政府がそれと同じ水準では、何も解決しないではないか。
「北は、対話に値せず」というのが家族会、救う会の意見である。
だからといって、「打倒北朝鮮」的なことばかり行っていたのでは、
何も進まないだろう。
それぞれの対談者は蓮池氏と微妙に意見は異なる。
その中で、お互いが意見をぶつけ合う本書は、一読の価値がある。
対談者3人の中では、鈴木邦男氏との対談が最もよかった。
蓮池氏の主張を基本的に理解した上で、2冊目として読まれたい。
★★★★☆
本書は前書を前提に話が進められているが、『拉致対論』を既読でその資格はあろうと読み進める。
蓮池氏の論は具体性・説得力を兼ね備えており、一般論、救う会・家族会の論しか知らない人でも意味は充分分かる。
感情として納得できるかだが、拉致問題は横田滋氏の交渉を進める為にも制裁解除は必要じゃないかとの発言に、佐藤勝巳氏が現代コリアサイトで批判したように、自分たちの打倒北朝鮮主張や右傾化と混同・利用されており、民主党も自民党の膿を出さず方針を持続しているが、クリントン氏・現代の玄会長が拘束記者・社員を救う為共和国を訪ね、非を認めて恩赦させ奪還したように、プライドを傷つけないように強かにやるのが真の外交で、それを木村太郎氏がフジのニュースであのやり方はルール違反と批判したり、世論も金正日に謝らせるまでは徹底抗戦せよと言い、家族会内でも強硬に出て取り返し相手を完膚無きまでに叩きのめしてざまあみろと言いたい“救出の哲学”様のものが出来上がってしまっていては、解決にはほど遠いだろう。
報道のように経済制裁が効いているのなら、経済状況が逼迫等でなく核を手放し拉致被害者を戻す方向に行かねばならぬが、そうなっていない事で既に答えは出ている。
平壌宣言から7年を経てなぜ拉致問題が動かないのか検証する報道特集を望む(蓮池)のは山々だが、ここまでタブー化させてしまっては虎の尾であり誰もやろうとしない不幸もある。
共和国は一時帰国を説明無しに破った事でプライドを傷つけられ、交渉ではなく打倒しようとしていると身構えているし、韓国は共和国が離散家族を会わせた事で支援に回り、核問題は米朝の案件なので日本は取り残されていく。
ただ締め上げれば日本が国連を脱退した時のようにやらねばやられるとの自衛意識を高揚させ、臨界を近づけているのではないか(森)との思いが残る。
思考停止からの脱出が拉致問題解決へ
★★★★★
拉致被害者「家族会」で体制側の発言をしていた蓮池透さんが「家族会」の発言と違ったことを言っている、と知ったときは、まず「どうして?」と思いました。この本を読んでかなりなぞが解けます。スリリングな本でもあります。
家族会の事務局長当時は、日朝の歴史もよく知らなかったし、思考停止状態だったとのこと。でも「拉致問題解決への事態が進んでいないから」、蓮池さんは、どうしてか、と「深く考える習性」ができて、「自分たちが要求する前に、北朝鮮、あるいは韓国も含めて朝鮮半島が要求していることも考慮すべきだという結論にいたった」わけでした。
池田香代子さん、鈴木邦男さん、森達也さんは、蓮池さんに質問して、蓮池さんのお考えを大変よく引き出しているほか、各人の考えも垣間見える発言をしていてとても興味深いです。
この4人に共通していているのは、拉致問題を親身になって考えていること、多様性や柔軟性をもち、コミュニケーションを大切にして解決策をさぐろうということです。
拉致問題や「家族会」を聖域化させ、言論封殺させてしまったメディアにも、4人の発言が風穴を開けるといいなと思いました。