問題作!!
★★☆☆☆
この著作の内容ともかく、表現に大いに問題ありと考える。
先ず第一点は、文章の中で「大東亜戦争」、「シナ」という今やまともな(見識のある)歴史家ならカッコ付きでしか使用しない用語を使っていること。
第二点は、文章が大変冗長である(緩いといってもいい)こと。具体的には、ちょっとした文語体?を大して変わらない口語にわざわざしてくれていること(例えば、88頁〜89頁の勝海舟の言葉。こんなのは説明不要でしょう)。最近のはやりらしいが、文末の「だろう」の多用(例えば、37頁の「事実にょって明らかだろう」とか57頁の「政治的・軍事的な意味をふくむだろう」)。これは結局著者の判断放棄としか思えないし、だいたい「だろう」は会話体では?
こういった所を改善してくれれば、分量も2/程度になるであろうし、論旨もより明確になるはずだ。
そして最大の問題は、北一輝のひいきの引き倒しが目立つことである。北一輝と石橋湛山を同列に取り上げるなどは言語道断。またその著作についても松本清張に完膚無きまでに論難されているはずである。
以上、大変厳しい批評になったが、諒とされたし。
以下は、レビュー追加です。
元の著作は1998年発行であるから致し方ないかも知れないが、現代文庫での発行の際、下記の点など当然新しい史実を踏まえて改善(改訂)すべきであったでしょう。
南京事件に関する笠原氏の著作の反映、BC級戦犯に関する林氏の著作内容の反映など。「日本の失敗」では、この重大な事項についての記述があまりにもいい加減であり、著作全体の価値を著しく下げている。
個別には、第14章の全体要旨不明、文末の前述の「だろう」とともに「・・わけだ」という記述、接続詞(?)の「そうだとすれば」の多用、「もっといえば」という言い方も文章としてひどいものだと思います。
ということで、新しい史実を反映し、明快で簡潔な日本語で書き直されることを期待します。
何故,日本は愚かな選択をしたのか
★★★★★
北一輝研究などで知られる松本健一が,何故日本があの愚かな選択,すなわち太平洋戦争をしたのかについて迫った傑作である.
戦前の大事件である2・26事件と満州事変の背景とその後の処理が後の開戦に繋がったこと,そしてその背景には「統帥権干犯」という軍部にとっての魔法の杖があり,なりよりその「統帥権干犯」を以て軍部の暴走を許した背景には鳩山一郎や犬養毅らの政党政治家の責任があり,自ら政党政治を崩壊させてしまったことを,まず明らかにしている.
だが,松本は開戦に到るには当時の日本人の「精神的鎖国」があったと看破する.「八紘一宇」や「皇道」,「大東亜共栄圏」という言葉の元,皇国史観というおよそ他国からすれば理解できないイデオロギーに国民が酔っていたのである.すなわち,日本の皇室には世界的普遍性があり,日本すなわち皇室を世界化しようというイデオローグがあった,そして,松本はそれには西田幾多郎を中心とする京都学派の哲学があったことを明らかにする.彼らの用いた「世界史の哲学」という用語は戦争によって形成されるであろう新たな世界史の中での日本の位置づけについての議論であるが,この言葉自体が当時の日本人が国際社会の中で自らの位置を相対化できなかったことを明らかとしているだろう.
そして松本は,日清戦争,日露戦争,大東亜戦争における天皇の開戦の詔を比較して決定的な違いがあることを明らかにする.それは日清,日露のそれには「国際法を遵守」してという趣旨の文言があるが,大東亜戦争のそれにはそのような文言が一切ないことである.これもまさに日本が国際社会の視点を持っていなかったこと明らかにしている.その結果が,『戦陣訓』の「生きて虜囚の辱を受けず」との思想と相まって,軍人・民間人の多量の無駄な死と捕虜の虐殺に繋がったのであった.
とにかく,この本を読めば「日本は列強に強いられて戦争に突入した」「戦争をする以外に道はなかった,しかたなかった」などの正当化は一切できないことが明らかとなるだろう.私からすると,今日の日本の一部は再び松本の言う「精神的鎖国」に向かいつつあると感じられる.再び日本が愚かな選択をしないためにも,できるだけ多くの人に本書を読んでいただきたいと思う.
ルサンチマンが悪しきエートスを膨らませるのだ!
★★★★★
大東亜戦争時代の日本の失敗を追及したもの。
大日本帝国軍が何故失敗したかを、
豊富な事例で完璧に証明しています。
天皇を現人神としてボスに戴き、同じ明治憲法下の軍隊であったが、
明治時代と昭和時代の大日本帝国軍の違いも明確に説明される。
左翼向けの本かと思われるが、天皇の行った素晴らしい事も明記しているし、
右翼でも左翼でも、正しい歴史認識と国際常識を身に付けたい人は必読の書である。
様々な知識人を紹介しているのも、教養人には面白くて仕方がない。
俎上に上がった人物名を列挙すると、
斎藤隆夫、鳩山一郎、秋山真之、伊藤正徳、北一輝、満川亀太郎、大川周明、頭山満、中野正剛、吉田茂、大隈重信、吉野作造、石橋堪山、三宅雪嶺、中曽根康弘、司馬遼太郎、犬養毅、田中義一、板垣征四郎、石原莞爾、緒方竹虎、小澤開作、高杉晋作、本庄繁、中江丑吉、出口王仁三郎、遠藤三郎、藤岡信勝、浅田彰、蓑田胸喜、西田幾太郎、和辻哲郎、太宰治、坂口安吾、島崎藤村、井上哲次郎、丸山真男、紀平正美、山田孝雄、重光葵、竹内好、武田泰淳、花田清輝、黒澤明、保田興重郎、岡倉天心。
どうです、読みたくなったでしょう。
南京大虐殺ネタもあるが、松本健一氏はテキトーに3〜5万人説でよいそうです。
南京大虐殺を論ずるのに人数を論ずるな!という明確な指摘をしておられます。
実行犯の大日本帝国軍にとっては、一人も虐殺などした覚えはないのである。
捕虜を「処理」しただけである。
ジュネーブ条約を守らずに戦時捕虜の人権を認めない、
大日本帝国軍の野蛮な体質を論じるべきなのである。
こういう本こそ、もっと読まれるべき!
★★★★★
被害者の立場でしか語れない平和論、勝つか負けるかの二元論しか持ち合わせない戦争観、戦争行為自体の正当化、等々。太平洋戦争をめぐる議論は、それをしたところで何の解決にもならない議論に終始してきたように思う。そういった閉塞感を打破する要素がこの本では語られているように思う。
本書では、太平洋戦争がいかなる理由をもってしても正当化できる代物ではないことを、当時の日本の政治・法制度上の欠陥も含めて明快に示している。そこで検証されている出来事の一つひとつを読んでいくと、戦争をおこした当時の人びとと現代の私たちの政治感覚、国際社会理解というものに、さほど変わりがないことに気付かされる。
そしてそのことにこそ、筆者の語る「第二の開国」の問題性と「第三の開国」の重要性がある。敗戦という形でもって始まった「第二の開国」を無条件に善とし、自己の力で社会を再構築することがなかったところに戦後日本の問題性があるのであって、「第三の開国」期にあたる現在において、その再構築を行うことが重要だと筆者は言いたいのだろう。
最近の政治・外交に関する発言を耳にするとき「もう一度太平洋戦争をやらないと、どれだけとんでもない事をやろうとしているのか、わかんないんじゃないのか」と思ってしまうことがある。そうした危険な状況にある今、私たちには鋭い政治感覚と正しい国際社会の認識が求められていると感じてやまない。
終戦記念日を前に。合掌!!
★★★★★
不幸な15年戦争が終わり、61回目の記念日を迎えようとしております。
松本健一先生のシナ問題にfocusされた、日米対決の丁寧な調査に、あらためて敬服です。
この60年間の、米中の関係(朝鮮戦争、安保理の常任理事国、米中国交、貿易摩擦、・・・)を、考える上で、本当に参考になりました!!
松本先生のますますのご健康とご健筆をお祈りしつつ。
2006.8.1 京都深泥池にて。